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【武蔵観研通信】333号:2022年6月30日

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【武蔵観研通信】333号:2022年6月30日           musashikanken[at]gmail.com                                       【 編集発行  桑原政則 】    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ 人物  〇 2729)日本の厚い中間層は、鎌倉時代に源が https://kuwabara03.blogspot.com/2022/06/blog-post_26.html 〇 2724)山川健次郎 。白虎隊から東大総長に。Yamakawa Kenjirō 。6月26日没  https://kuwabara03.blogspot.com/2013/08/6251931.html 〇 2718)松下幸之助は、1954年に観光立国をとなえる。4月27日没 https://kuwabara03.blogspot.com/2019/05/1954.html 〇 2717)織田信長。全国統一のさきがけをなした武将。6月21日没 https://kuwabara03.blogspot.com/2020/06/621.html 〇 2716)土方歳三(ひじかた としぞう)。新選組副長で、和魂洋才のラストサムライ。6月20日没 https://kuwabara03.blogspot.com/2015/06/6201869_19.html 〇 2714)源義経。世間無知が招いた悲劇で自滅。6月15日没   https://kuwabara03.blogspot.com/2013/03/blog...

川越みがき の つどい 2022/7/19(火)

  川越みがき の つどい 7月19日 (火) 夜6時半  湯遊ランド   新富町1ー9 ☎ 049-226-2641 あいさつ   ★ 川合善明 川越市長 ★ 粂原恒久 蓮馨寺住職 武蔵観研 名誉会長 ★ 都築稔 日本薬科大学 副学長 ・川越市制施行100周年 ・川越百万灯夏まつり 7月30日・31日 ・川越まつり  10月15日・16日 ・小江戸川越ハーフマラソン 11月27日 ・川越観光 いよいよ本格化 【※】 川越市 イベント  ★ 懇親会  3000 円 ★申し込み・連絡  musashikanken★gmail.com  (★  を @に変更してください) ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 恒例の 川越地域の 出会い、だんらん の交流会です。 川越の文化を掘り起こし、物語ることは、 川越をみがきあげることにつながります。 1分の有志ミニ・スピーチも。 観光断章    桑原政則  2022/06/21 □ 観光は平和産業であり、防衛産業です □ 日本の誇りは「安全・自然・食文化」 □ 観光は地域づくりの総仕上げです □ 観光には、資金をかけ、 入場料をいただけ □ まつり は 観光のもと、地域もスマイルを NPO法人  武蔵観研   主催 会長 桑原政則 (小江戸川越親善大使) 副会長 木所勝邦 (小江戸川越親善大使) 副会長 金子正之 (小江戸川越親善大使) ・・・・・・・・・・・ 湯遊ランド・ホテル三光へのアクセス地図  湯遊ランドでは、エスカレーターで2階に上がり、 履物を履き替え、 エレベーターで地下1階に降りて ください。 In Yuyu Land, go upstairs on the escalator, change footwear, and take the elevator to the basement ...

前九年合戦(ぜんくねん かっせん)と後三年合戦 (ごさんねん かっせん)で源氏も活躍

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 前九年合戦(ぜんくねん かっせん)と後三年合戦 (ごさんねん かっせん)で源氏も活躍 前九年合戦の陸奥と出羽  前九年合戦 前九年合戦(ぜんくねん かっせん。 1051~1062)は、 平安時代後期に起こりました。 陸奥の国( 青森県、岩手県、宮城県、福島県 )の 安倍氏(あべし)らの 反乱を、朝廷派遣の 源頼義、源義家 親子が平定した戦いです。 源義家は、通称が 八幡太郎(はちまんたろう)で、源頼朝の祖先にあたります。京都の石清水八幡宮 (いわしみず  はちまんぐう) で元服します。 陸奥国(むつのくに)では安倍氏(あべし) が、 出羽国(でわのくに)では清原氏(きよはらし) が力をもっていました。 なお、前九年合戦は、 前九年の役とよぼれます。 「 役」とは、 元寇(げんこう)のときの「文永の役(ぶんえいのえき)」のように 外国との戦いに用いられます。 「前九年の役」は、都から遠く離れた所で起きたため、 「 役」と呼ばれることがあります。 後三年合戦  (ごさんねん かっせん。 1083~87 ) は、 出羽を実質支配していた 清原氏が消滅 し、 奥州藤原氏が登場するきっかけ となった戦いです。 源 義家が介入し、 藤原 清衡(ふじわらのきよひら)を助けて清原を滅ぼしました。 藤原   清衡は奥羽の地盤を引き継ぎ、 源氏は東国に基盤を築きます。 藤原  の4代が栄えます。 【※】 後三年合戦とは 秋田県横手市   関東での源頼朝の支持基盤は、古く100年以上前から醸成 されています。

秩父氏は、河越重頼、畠山重忠、江戸重継を輩出

【図解:武蔵、江戸】         秩父氏    →    河越重頼          → 畠山重忠             ↓             ↓         江戸重継 源氏、平氏は、ともに天皇家にルーツをもつ由緒ある家系です。 秩父氏は優秀な一族で、平氏の系統です。 秩父氏の一族は、 在地豪族と婚姻関係を結び、秩父党を結成し、地元に根を下ろします。 平将恒(まさつね。平将門の子孫)が祖です。 古代、中世の 関東武士団のトップは、秩父氏 が占めていました。   秩父氏一族は、平家でありながら、 源頼朝に加担し 、鎌倉幕府の設立に尽力します。 秩父からは、 河越重頼、畠山重忠、江戸重継 がでています。 秩父氏は「重」の字を通字(とおりじ。祖先から代々つける文字)とします。 源頼朝の挙兵では、河越重頼、畠山重忠、江戸重長は、横須賀の衣笠城を攻略します。 河越重頼は、 武蔵国の最大勢力者です。 娘は源義経の妻です。 畠山重忠は、鎌倉幕府の設立に尽力します。清廉潔白で 「坂東武者の鑑(かがみ)」です。 深谷の出身です。 江戸重継は、12世紀初めに江戸に居館を設けます。1457年には太田道灌らがこの地に築城します。

708年に年号は秩父の銅にちなみ「和銅」に

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708年に年号は秩父の銅にちなみ「和銅」に 和同開珎(わどう かいちん) 708年に朝廷は年号を、栄光ある秩父をたたえて「和銅」にします。 秩父からすぐれた銅が産出したのです。 1300年前のことです。 平城京遷都(710年)を控え、みやこの建設にあてるためです。 日本最古の貨幣とされる和同開珎 (わどう かいちん)も発行されます。 秩父はまた良馬の産地でもあります。 秩父地域 聖(ひじり)神社と和銅遺跡の行き方 【+5】 和銅黒谷駅 周辺のホテル・旅館

日本の国民史は、鎌倉時代から

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 日本の国民史は、鎌倉時代から 古代は、4時代   大和、飛鳥、奈良、平安  からなります。     中世は、5時代    鎌倉、南北朝、室町、戦国、安土桃山 からなります。 日本の国民史は、中世の鎌倉時代から はじまります。 奈良、平安時代は、まだ一種の奴隷制の時代で、      国家は、 公家、寺院のため にありました。 庶民には、転職、移住の自由はなく、働く機械でした。 仏教は、     国家仏教 で、     僧侶は官僧 (=国家公務員) でした。 僧侶の仕事は、庶民とは関係なく、 国家の安泰を祈る ことでした。 仏教は、     「 鎮護(ちんご)国家 」     「 朝家(ちょうか。皇室)安泰 」 のためのものでした。 お経もお寺も極楽も、庶民とは無関係 でした。 平安時代までは庶民の生活は、見えません。 武士や庶民を描いた小説はありません。 世界最古の長編物語 『源氏物語』は、宮廷の物語で、庶民が何をしているかはうかがえません。 平らな場所をクワで開墾 平安の中期頃に鉄器がもたらされ、農具の生産が高まりました。 かつては、山間や谷間のような水の流れる 傾斜地でのみ行われていた水田工作 が、 関東の平地、 平らな場所でも、クワで開墾 すれば、可能になりました。 日本一広い関東平野を開墾し、 開拓農民から開墾地主に なるものがあらわれました。 武士の誕生 です。 しかし、奴隷制の律令体制下では、耕しても自分の土地にはなりません。 しかたなく、自分の土地を中央の貴族、寺社に寄付し、管理権だけをもらっていました。 京で口利き役になってくれたのが、     源(みなもと)と     平(たいら)でした。 源氏も平氏も、もとは天皇の血筋 でした。 敵同士の源氏と平氏は、戦いました。 平清盛が源義朝を破り、 平氏は一大勢力と なります。 勝った平氏は、 しかし、のちに公家の仲間入りをしてしまいます。 伊豆で20年間の流人生活を送っていた源義朝の子・頼朝は、 大量の武士団を味方にし、土地を私有制にする     土地...

日本の厚い中間層(≒民主主義)は、鎌倉時代に源が

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 日本の厚い中間層(≒民主主義)は、鎌倉時代に源が  平安の中期頃に 鉄器 がもたらされ、 農具の生産 が高まりました。 関東の平地でも水田工作が可能になりました。 農具の生産  広い関東平野を開墾し、開墾地主になるものがあらわれました。 この 開墾地主、農民が、「武士」に なっていきます。 世界にまれな「武士」の誕生 です。 鉄は大量の木材を消費します。 中国や朝鮮では、森林の復元力が弱く、森林が消滅します。 モンスーン地帯 にある 多雨の日本(^/^)では、 森は30年で復元 します。 農民、武士が力をつけて、鎌倉、江戸時代を経て、 ずっ~とくだって、 ものを言う 日本の民主主義を支える ようになります。 日本の厚い中間層は 鎌倉時代に 源を 発します。 他のアジアでは、この中間層がありません。 独裁制に傾いてしまうのはそのためです。 「家を示す家紋」があるのは、日本と西欧だけ です。 中国にはありません。 西欧でも珍しく、各家庭に家紋があることを示すと、 感嘆されます。 家紋は日本の文化です。 【※】 市制100年で記念マンホール 川越市   かつて、あるアメリカ人が、 マンホールの蓋にも紋(もどき)をみつけて、 日本の歴史が多様であることに驚嘆していました。

中世は、鎌倉時代から。鎌倉ー南北朝ー室町ー戦国ー安土桃山、400年間

 中世は、鎌倉時代から。 鎌倉 ー 南北朝 ー 室町 ー 戦国 ー 安土桃山、400年間 日本史は、 1 原始、2 古代、3中世、4近世、5近現代 に 5区分されます。 中世は、鎌倉時代から始まります。 3中世は~ 鎌倉 ー 南北朝 ー 室町 ー 戦国 ー 安土桃山 です。 1185年から1603年まで、 400年 続きます。 日本の中世は、世界で一番文献が多いおもしろい分野です。 イギリス史、フランス史、ドイツ史には、 古代はなく、中世から始まります。 4近世は、 江戸幕府の創立(1603年)から明治維新の東京遷都(1869 年)までです。 ほぼ江戸時代 です。 400年続きました。 5 近現代は、 明治ー大正ー昭和ー令和 です。 1868年から150年以上の期間です。 ---------- 古い方  1 原始、2 古代、 に戻ります。 1原始時代( 紀元前3千年まで )には、 先史時代、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、邪馬台国 が入ります。 日本史では、史料がない原始時代はあつかわないのがふつうです。 考古学の分野になります。 2古代は、 大和ー飛鳥ー奈良ー平安 です。 250年から1185年まで、 900年 続きました。 cf. 立正 大学図書館