宮沢賢治。詩人、童話作家。9月21日。37歳。花巻市
宮沢賢治。詩人、童話作家。9月21日。37歳。花巻市(はなまきし)
| 宮沢 賢治 |
宮沢賢治は、幼い頃から自分よりも
他人の幸せを優先しました。
花巻(はなまき)農学校で
英語と数学、化学、肥料や土壌の科目を受けもちます。
教師をしながら、詩や童話を書きます。
するどい感覚と想像力で、幻想的な詩の世界を生みだします。
教師をやめて
農民に農業の指導をします。
| 花巻市は盛岡の南に |
有名な作品は以下です。
『銀河鉄道の夜』
『注文の多い料理店』
『風の又三郎』
『セロ弾ひきのゴーシュ』
『グスコーブドリの伝記』などの童話のほか、
詩集『春と修羅』
詩「雨ニモマケズ」
「銀河鉄道の夜」宮沢賢治の伝えたいこと【100秒でわかる名作劇場】
宮澤賢治の詩や童話が、世間に認められるようになったのは、
賢治が死んでからのことです。
『雨ニモマケズ』はカタカナで書かれています。。
当時は、カタカナが身近でした。
カタカナから習いました。
<わたし(桑原政則 1940生)もカタカナでマンガをよみました。
蝶々(ちょうちょう)は「テフテフ」でした。
1947年に小2のとき、ひらがなの教科書をわたされて、あたま真っ白でした。
その前の年1946年には、敗戦直後で教科書はナシ、
教室もナシで1年生は廊下で勉強でした。
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当時は、カタカナが身近でした。
カタカナから習いました。
<わたし(桑原政則 1940生)もカタカナでマンガをよみました。
蝶々(ちょうちょう)は「テフテフ」でした。
1947年に小2のとき、ひらがなの教科書をわたされて、あたま真っ白でした。
その前の年1946年には、敗戦直後で教科書はナシ、
教室もナシで1年生は廊下で勉強でした。
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