聖武(しょうむ)天皇の大仏建立は、怨霊封じのため

聖武(しょうむ)天皇の大仏建立は、怨霊封じのため
しょうむ
・701年~756年6月8日、55歳 

聖武(しょうむ)天皇は、天武天皇のひ孫です。


聖武(しょうむ)天皇のきさきは、光明(こうみょう)皇后です。

光明皇后は、藤原不比等(ふひと)の娘です。
皇族以外の出身で初めて皇后になりました。

光明(こうみょう)皇后の誕生に際しては、
皇族は反発しました。
とくに皇族代表の長屋王(ながやのおおきみ、天武天皇の孫)が公然と反対しました。

皇后は皇族出身でなければならないという不文律があり、
聖武天皇に万一のことがあった場合、
皇族出身でない光明(こうみょう)皇后が天皇になってしまうからです。


しかし、藤原不比等の4人の息子たち(光明皇后のきょうだい)がごり押しして、
光明皇后を誕生させました。


このあと、藤原一族は、長屋王とその一族を全滅させました。


長屋王の死後、国家と藤原一族に不幸がおそいかかりました。

* 733年 大飢饉が発生
* 734年 大地震
* 735年 新羅との関係が悪化し、天然痘が流行し死者多数
* 736年 凶作
* 737年 凶作
* 737年 藤原不比等の4人の息子たちが次々と天然痘で死亡 

さらに、聖武天皇と光明皇后との間には、男児が生まれず、皇統の危機を招きました。


聖武天皇は、藤原氏の専横に反旗を翻すようになります。

長屋王のたたりを鎮めるために聖武天皇がはじめた大事業が大仏の建立でした。

仏像は、怨霊封じ込めの手段でもありました。
( 井沢元彦「天武は天智とその息子を殺害」 )




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