徳川家光は、
参勤交代、
キリシタンの禁止、
鎖国の実施
などで幕藩体制を確立しました。
幕藩(ばくはん)体制とは、幕府と藩(大名)による支配体制のことです。
この他に、日光東照宮の大改築、建て直しをおこないました。
家康の墓は日光にあります。
家光の墓も日光です。
その他の将軍の墓は、寛永寺か増上寺です。
家光が13歳の時、家康は75歳で没しました。
家光は、家康を神のようにあがめていました。
家光のもっていたお守りが現存しています。
「東照権現、将軍 心も体も一ッ也」(家康公と将軍の私は、心も体も一ッ也)。」
「いきるも しぬるも なに事も 大ごんげんさま次第」
家光の気持を形あるものにしたのが日光東照宮の大改築です。
家光は、1634年から1636年にかけて東照宮の建て直しをおこない、自身も10回にわたって日光に社参しています。
1636年が徳川家康20回忌に当たります。
家光は死後も家康と生活を共にすることを願い、自分の墓も東照宮につくるように言い残しました。
光に竜虎の争う絵はありません。
家康は虎年、家光は竜年だからです。
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