天海、後継者を天皇家から

天海は、東照宮を管轄する自分の後継者として、朝廷から皇子(みこ)を招くという計画を立てました。

家康・東照宮への奉仕を皇室にになってもらい、東照宮信仰を盤石にしようとしました。

1654年、天皇の血を引く輪王寺宮(りんのうじのみや)が、寛永寺に迎え入れられ、東照宮、延暦寺も統括し、また宗教界全体を指導する立場にもつきました。

輪王寺宮は皇室出身者に継承され、幕末まで宗教界に君臨しました。
いわば幕府が朝廷から人質を取ったようなものです。
天海の思い描いた通りになりました。

寛永寺の石高は、約2万石、日光の輪王寺は2.5万で、大名並みの石高です。

天台宗総本山の比叡山延暦寺5千石に過ぎず、この一事をもっても天海の力がいかに強力であったかがわかります。