天海、慈眼大師に


1648年、天海は、死後、慈眼大師(じげんだいし)の追号(ついごう)を朝廷から贈られました。

「大師」とは、国全体の師のことです。
この追号は、5人目700年ぶりの出来ごとでした。
天台宗では、天海は、最澄、円仁、良源といった僧らと共に崇敬されています。

天海以降天台宗では、今に至るまで大師は出ていません。

天海は入寂すると寛永寺から日光に運ばれました。

死して後も、東照大権現を守るためでした。

近くには、家光の霊廟もあります。
家光は、天海を実の祖父のように慕っていました。

家光が自分の廟所(びょうしょ)を慈眼堂のそばに設けたのは、当然のことでした。

慈眼堂