1643年天海、満108歳で永眠

天海僧正の銅像。天海誕生の地、会津美里町  2011年
会津美里町のは慈父、川越・喜多院の厳父のようです。
1643年天海は上野・寛永寺で永眠します。
108歳でした。

正座して、合掌し、弟子たちにみとられながら眠るように息をひきとりました。

死して後も東照大権現・家康をまもるため、日光に眠りました。

1000人の行列が寛永寺から従いました。

家光は、天海僧正を家康と同列に尊敬していました。
祖父のような親しみを感じていました。

家光は川越を9回も訪ねています。

大猷院と慈眼堂の位置。北斗七星の配置
日光の大猷院(たいゆういん、家光廟)は、慈眼堂(天海の墓所)の上にあります。

家光は、天海が病気になったとき、1ヶ月余の間に4回も上野の寛永寺に見舞っています。

将軍が個人的に僧侶を見舞うことは前代未聞です。
家光が、家康と天海が眠る日光に自分も眠りたいと考えたのは当然のことでした。

毎年10月2日には、日光で長講会( じょうごえ)が開かれます。

10月2日は日光で長講会( じょうごえ)


天海物語