『その時歴史が動いた 大江戸発至急便 黒船現る』
NHK映像 【40分超】
1852年に長崎のオランダ関係者からペリー来航の情報がありました。
約1年も前に黒船来航の情報は長崎から入っていました。
34歳の老中・阿部正弘がこの情報を受け取りました。
しかし、幕府では、対策を講じませんでした。
幕閣は合議制のため、官僚主義のために事態は動きませんでした。
【※】今の日本を暗示しています。
アメリカの姿も何も変わらない。
この間、薩摩の島津斉彬もペリー来航の情報を受け取っていました。
薩摩は、琉球を支配しており、また中国のアヘン戦争の影響を懸念していました。
吉田松陰も察知していました。
川越藩と彦根藩の2000人も警備にあたりました。
1854年ペリーは再来日しました。
3月3日から3月17日まで滞在しました。
のちに『日本遠征記』に日本の国情がくわしく記されています。
【※】1861年の南北戦争
南北戦争の勃発によって、アメリカは日本を植民地化する余裕などなくなりました。
・・・・・・・・・・・ 【川越藩関係】
ペリー来航で江戸湾警備をおこなった川越藩
川越藩領の川島町名主・鈴木久兵衛 「現地での見聞」(埼玉県立博物館 )【PDF】
『みて学ぶ埼玉の歴史』編集委員会編。山川出版社。2002年
川越藩領の赤尾村(坂戸市) 林信海
「我等は、わが国家が一変すべき時に生まれあわせている。駆り出されるのは、百姓である」(要旨)
・・・・・・・・・・・
0 件のコメント:
コメントを投稿