2019/04/24

ペリーの航路図。ニューヨーク側⇒ アフリカ南端⇒インド洋⇒日本

ペリーの航路図。ニューヨーク側⇒ アフリカ南端⇒インド洋⇒日本
「ペリーの航路」の画像検索結果
/ 国立国会図書館国際子ども図書館
1853年、ペリーが黒船で来航しました。
【受験】ペリー来航 1853年:「イヤ(18)でござん(53)す、ペリーさん」

アメリカは、日本を清との貿易の中継地にしようとしていました。

ニューヨーク側(大西洋側)から出発したのは、
西海岸への道路も鉄道もなかったからです。

    アメリカの州の独立順   ジフ・アニメーション

・・・・・・・・・・・
ペリーの航路(1852年11月24日ー1853年7月8日日本離陸)
  1. Norfolk, Virginia
    1852年11月24日発。
  2. 西進し、アフリカ沖へ
  3. アフリカ南端Cape Town 
  4. Sri Lanka
  5. Singapore
  6. Hong Kong
  7. Shanghai 
    1853年5月17日、サスケハナ号に旗艦を移す。
  8. 沖縄
    1853年5月26日ー6月9日、上陸拒否にもかかわらず、市内を行進しながら首里城まで進軍
  9. 浦賀
    1853年7月8日、4隻が停泊。
    阿部正弘は、7月14日横浜への上陸を許し、陸上を川越藩と彦根藩、海上を会津藩と忍藩に警備させました。浦賀奉行はペリーと会見しました。
    艦隊は7月17日に日本を離れました。

・・・・・・・・・・・

1861年、南北戦争がおこり、国内はてんやわんやとなり、対外進出は一旦止まります。

この頃のアメリカは小国、植民地にする余裕がありませんでした。
虚勢を張っていました。
【受験】南北戦争 1861年:「イヤ!無意味な南北戦争」


アメリカのやり方は今も変わっていません。
おどしです。
ペリー⇒ マック⇒ トランプ








★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
【追】
わたし(桑原政則)も1960年代に川崎汽船の峰島丸で、門司からベトナム、タイへでかけました。
3000トンの貨物船でした。
門司から出て嵐に会い、一旦別の港に避難しました。
揺れ通しでした。
サスケハナ号は3000トン未満の船でした。
道中がおもいやられます。

0 件のコメント: