投稿

10月, 2021の投稿を表示しています

清少納言『枕草子』。日本三大随筆の一つ <音読

清少納言『枕草子』。日本三大随筆の一つ    <音読 『枕草子』は日本三大随筆の一つです。他は、 兼好法師の『徒然草』、 鴨長明の『方丈記』 です。 清少納言は、966年ごろ生まれ、60歳程まで生きました。 紫式部とならぶ才女です。 『枕草子』は、1001年成立の平安後期の作品です。 ※平安時代    794年~1192年 清少納言が見た季節の移り変わりなどの話が収められています。 少し前にできた「ひらがな」のおかげで、 『源氏物語』や『枕草子』などが誕生しました。 平安時代には、中国との交流をやめました。 そのため、国風文化が栄え、貴族の優雅な暮らしも生まれました。 枕草子朗読|清少納言|春はあけぼの|耐久版 春はあけぼの。 やうやうしろくなりゆく山ぎは、 すこしあかりて、 紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 夏は夜。 月の頃はさらなり、 闇もなほ、 蛍のおほく飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、 ほのかにうち光りて行くも、をかし。 雨など降るも、をかし。 秋は夕暮れ。 夕日のさして、山の端いと近くなりたるに、 烏の、寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、 飛び急ぐさへ、あはれなり。 まいて、雁などのつらねたるが、 いと小さく見ゆるは、いとをかし。 日入りはてて、風の音、虫の音など、 はた、言ふべきにあらず。 冬はつとめて。 雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。 霜のいと白きも、またさらでも、 いと寒きに、火など急ぎおこして、 炭持てわたるも、いとつきづきし。 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、 火桶の火も、白き灰がちになりて、わろし。 【現代語訳】 春はほのぼのと夜が明けるときが素敵。 だんだんとあたりが白んで、山のすぐ上の空がほんのりと明るくなって、淡い紫に染まった雲が細くたなびいている様子が良い。 夏は夜。 月が出ていればもちろん、闇夜でも、蛍がいっぱい飛び交っている様子。 また、ほんの一つ二つ、ほのかに光っていくのも良い。 雨の降るのもまた良い。 秋は夕暮れ。 夕日が赤々と射して、今にも山の稜線に沈もうという頃、カラスがねぐらへ帰ろうと、三つ四つ、二つ三つなど思い思いに急ぐのさえ、しみじみと心にしみる。 まして、カリなどで列を連ねて渡っていくのが遥か遠くに小さく見えるのは面白い。 すっかり日が落ちてしまって、...

天海は、織田信長による比叡山焼き打ちを逃れ、武田信玄の元へ。<天海コラム#3

イメージ
天海は、織田信長による比叡山焼き打ちを逃れ、武田信玄の元へ。1571年 35歳   1571年 35歳の時、天海は、比叡山入山を試みます。 しかし、比叡山が織田信長により焼き打ちされ、果たせませんでした。 天海は、 明智光秀の世話で、比叡山の学僧らと共に、 武田信玄の元に身を寄せます。 武田信玄の領地 1568年 武田信玄は、戦争嫌いで、書物好きの文人でした。 民政を重んじた徳政の人でした。 このころ武田は、天下一の有力者でした。 天海は、武田信玄の元で、天台宗について講義したりしました。 武田信玄は、天海より15歳年上で、 僧侶(「信玄」)でもありました。 武田信玄 天海は、武家の出です。 三浦氏一族の蘆名(あしな)氏の生まれです。 戦乱で父を奪われ、11歳で出家します。 天海は至るところで修行します。 戦乱の世にあって、剣の力ではなく仏法の力で、 泰平浄土を願いました。 しかし、仏法だけでは泰平は訪れませんでした。 みずからの「山王一実神道(さんのう いちじつ しんとう)」により、 徳川家康を 泰平浄土の神にする腹案をこのころ得ました。 1616年徳川家康の死にあたっては、 徳川家康を 東照大権現(とうしょう だいごんげん)  にしました。 権現とは、「仮に(権)、この世に現れている姿」のことです。 天海は、伊勢神宮の天照大神(あまてらす おおみかみ)を念頭に、 徳川家康が東国の天照(あまてらす) となることにし、 「東照大権現」にしました。 東照大権現とは、 家康が東照という神となって 仮に(=権)この世にあらわれている姿ということです。 こうして、世界でもまれな 260年のパクス・トクガワーナ(徳川の平和)が、 招来されました。 ※パクス・ロマーナ(ローマの平和)は、200年です。 パクスとはラテン語で 平和 という意味です。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ※武田信玄 「偉人・素顔の履歴書」第3回『戦国最強武将・武田信玄 編』 信玄公生誕 500年記念 - やまなし観光推進機構

【武蔵観研通信】318号:2021年10月28日

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【武蔵観研通信】318号:2021年10月28日               musashikankenATgmail.com    ATを@に変更                                   【 編集発行  桑原政則 】    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ 人物  〇 天海僧正の健康法。勤行歩く粗食学習    <天海コラム#1 https://kuwabara03.blogspot.com/2012/05/blog-post_8682.html 〇 伊藤若冲(じゃくちゅう)。群鶏図で有名な絵師。10月27日没 https://kuwabara03.blogspot.com/2021/10/blog-post_22.html 〇 薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身 https://kuwabara03.blogspot.com/2021/10/blog-post_21.html 〇 春日局。3代 徳川家光の乳母で大奥を整えた女性政治家。10月26日没 <川越の先人 https://kuwabara03.blogspot.com/2009/05/blog-post.html 〇 岡本一平   『非凡人と凡人の遺書』    <音読 https://kuwabara03.blogspot.com/2021/10/blog-post_96.html 〇 二葉亭 四迷 『平凡』 <音読 https://kuwabara03.blogspot.com/2021/10/blog...

鴨長明『方丈記』<音読。他4作品

  鴨長明『方丈記』  <音読。他4作品 鴨長明(1155?〜1216)は、鎌倉時代初期の歌人・随筆家です。 京都の神社の神官の家に生まれました。 後鳥羽上皇にめされて、和歌所の職員になりました。 のち出家し、そまつな方丈(一丈=約三メートル四方)の家に住みました。 方丈記  青空文庫  行く川の流れは絶えずして、 しかも、もとの水にあらず。 淀(よど)みに浮かぶうたかたかは、 かつ消え、かつ結びて、 久しくとどまりたるためしなし。 世の中にある、人と栖 (すみか) と、 またかくのごとし。 【耐久版】方丈記の冒頭朗読|暗記・暗唱|原文・現代語訳|高校古典 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 玉敷(たまし)きの都の内に、棟(むね)を並べ、 甍 (いらか) を争へる、 高き賤 (いやし) しき人の住まひは、 世々を経て尽きせぬものなれど、 これ(*)をまことかと尋 (たず) ぬれば、 昔ありし家はまれなり。 あるいは、去年(こぞ)焼けて、今年作れり。 あるいは、大家滅びて、小家となる。 住む人もこれに同じ。 所も変はらず、人も多かれど、 いにしへ見し人は、二、三十人が中に、 僅かに一人二人なり。 朝(あした)に死に、夕べに生まるる慣らひ、 ただ水の泡にぞ似たりける。 知らず、生まれ死ぬる人、 いづ方より来りて、いづ方へか去る。 また知らず、仮の宿り、 誰がためにか心を悩まし、 何によりてか目を喜ばしむる。 その、主と栖と、無常を争ふさま、 言はば、朝霧の露に異ならず。 あるいは、露落ちて、花残れり。 残るといへども、朝日に枯れぬ。 あるいは、花しぼみて、露なほ消えず。 消えずといへども、夕べを待つことなし。 【 現代語訳 】 流れていく川の流れは絶えることがなくて、それでいて、(その水は刻々移り)もとの水ではない。 流れの淀んでいるところに浮かぶ水の泡は、一方で消えたかと思うと、一方ではまたできて、いつまでもそのままの状態で存在していることはない。 このように生まれてきている人と住まいも、また、同じようなものである。 玉を敷きつめたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている(ように並んでいる)身分の高い、また低い人々の住まいは、幾世代を経てもなくならないものであるが、これらの家々...

伊藤若冲(じゃくちゅう)。群鶏図(ぐんけいず)で有名な絵師。10月27日没

イメージ
  伊藤若冲(じゃくちゅう)。群鶏図で有名な絵師。10月27日没 伊藤若冲 ・1716年3月1日。京都~1800年10月27日没。84歳 京都の商家の長男に生まれました。 絵画だけに興味を示しました。 動植物を色あざやかに描き,装飾性を加えました。 「群鶏図(ぐんけいず)」が代表作です。      群鶏図 3分でわかる伊藤若冲  【+3】 【3m】 若冲:     300年後も輝くJAPAN ART    【15m】 世界的に有名な日本の画家と作品:   歌川広重・葛飾北斎・伊藤若冲・喜多川歌麿・歌川国芳 【+15】 伊藤若冲  Google artsandculture

薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身

イメージ
 薩摩藩の祖 島津忠久は、武蔵国の出身  ・~1227年6月18日没 島津忠久 源頼朝は北武蔵一帯を検地しました。 北武蔵が広大で肥沃な平野であることを見て重要視します。 このとき、頼朝は 都幾川村の慈光寺 に銅鐘を奉納しています。 …。 源頼朝は、河越氏と近隣の比企氏を結びつけることにしました。 こうして、河越氏初代の 河越重頼は、源頼朝の勧めで、比企(ひき)氏の次女と結婚 しました。   河越重頼と比企氏の次女の間に生まれた娘はやがて、源義経の妻 となりました。 比企氏の長女は、 島津忠久を生み、薩摩の島津氏の祖 となりました。 父親は未確定です。 島津忠久は鎌倉で生活しますが、比企氏の縁者であったことで重んじられて、子孫は薩摩の守護に任じられました。 島津家には「島津忠久は源頼朝の子供」という言い伝えがあります。 島津忠久が建てた鹿児島の 花尾(はなお)神社 は、源頼朝と忠久の母を祀っています。

岡本一平 『非凡人と凡人の遺書』 <音読

岡本一平   『非凡人と凡人の遺書』    <音読 岡本一平(1886~1948)は、夏目漱石に認められて、 漫画つきの文章を生み出しました。 妻は小説家の岡本太郎です。 長男が岡本太郎です。 俳優の池部良は 甥です 。 一平の 父は津藩の儒学者です。 一平・かの子夫婦は、川端康成と長く親交し、 一平は川端康成をながく尊崇していました。 文章は、一筆書きのようにスラスラーッと読めるのが特徴です。 岡本一平   非凡人と凡人の遺書   青空文庫  牛や魚は死ぬ時遺言(ゆいごん)しない。 鳥や松の木も死ぬ時遺言しない。 遺言するのは人間だけである。 死ぬ時自分以外に他あるをかえりみてて、 そこに何か責任上の一言を遺(のこ)して置く。 これ人間が万物の霊長たる由縁であらう。  毎年正月元日に筆を改めて 遺言状を書き直すといふ用意周到の人が 僕の知つてる範囲で二人ある。 しかも二人共かなり永生きの方なので 何通書き直したか判らぬ。 年々そう書き直す必要があるだらうかときいたら 一人は『葬儀車だつて年々進化するだらう?』 一人は『年々遺言状の思想が旧くなつて行くから』といつた。 二人共遺言状を書く真剣さを用ゐて、自分の魂をあらため験(けん)するのだつた。 中々ずるい。 音読の効用 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。 ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。 のどの筋肉がきたえられます 作品の表記について 読みやすいように、表記を改めた所があります。 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。

二葉亭 四迷 『平凡』 <音読

二葉亭 四迷    『平凡』 ・1864~1909 二葉亭 四迷 最後の作品です。 当時 寿命は50歳、夏目漱石は49歳で他界しました。 二葉亭 四迷は、ある時  自分が情けなくなり 「くたばってしめぇ」と自分自身に言い放ちました。 それがペンネームとなりました。 二葉亭 四迷    『平凡』     青空文庫  私は今年三十九になる。 人生五十が通相場(とおりそうば)なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。 すぎさってしまえば実にあっけない。 まだまだと云ってるうちにいつしか此世の隙(ひま)が明いて、 もうおさらばという時節が来る。 そのときになって幾らあがいたって もがいたっておっつかない。 覚悟をするなら今のうちだ。  いや、しかし私もおいこんだ。 三十九には老(お)い込こみようがチト早過ぎるという人も有ろうが、 気のもちかたは年よりもふけた方が好い。 それだと無難だ。  どうしてこんな年寄りじみた心持になったものか知らぬが、 あながち苦労をして来たせいでは有るまい。 私位ぐらいの苦労は誰でもしている。 もっとも苦労しても一向苦労にめげぬいつまでも元気な人もある。

夏目漱石 『吾輩は猫である』 <音読

 夏目漱石  『吾輩は猫である』    <音読 オスネコが英語の先生のところで繰り広げる物語。 漱石は、『吾輩は猫である』の成功で、 東大の先生をやめ小説家となりました。 夏目漱石  『吾輩は猫である』   青空文庫  吾輩わがはいは猫である。名前はまだ無い。  どこで生まれたか とんと見当(けんとう)がつかぬ。 何でも薄暗い じめじめした所で、 ニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。 吾輩はここで始めて人間というものを見た。 しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で 一番獰悪(どうあく)な種族であったそうだ。 この書生というのは、時々我々をつかまえて 煮(に)て食うという話である。 しかしその当時は何という考えもなかったから、 別段恐しいとも思わなかった。 ただ彼の掌(てのひら)に載せられてスーと持ち上げられた時、 何だかフワフワした感じがあったばかりである。 掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのが、 いわゆる人間というものの見始めであろう。 この時妙なものだと思った感じが、今でも残っている。 第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるして、 まるで薬缶(やかん)だ。 その後猫にもだいぶあったが、 こんな片輪(かたわ)には一度もでくわした事がない。 のみならず顔の真中があまりに突起している。 そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。 どうもむせぽくて実に弱った。 これが人間の飲む煙草(たばこ)というものである事はようやくこの頃知った。 音読の効用 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。 ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。 のどの筋肉がきたえられます 作品の表記について 読みやすいように、表記を改めた所があります。 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。

夏目漱石 『草枕』 音読

  夏目漱石  『草枕』 音読 『草枕』は、初期の名作です。 世の中の しがらみ を憂えています。 漱石はこの頃病気がちで、 近所のあたたかい 絆(きずな)も、 しがらみ に思えていたようです。 文章は、テンポよく音読しやすいです。 音読の効用 音読は、目と耳をともに使うので、記憶しやすいです。 ストレスが発散し、気持ちが落ち着きます。 のどの筋肉がきたえられます 作品の表記について 読みやすいように、表記を改めた所があります。 差別的な表現も、原作の独自性を保つために、そのまま表記しました。 夏目漱石  『草枕』    青空文庫 山路 (やまみち)を登りながら、こう考えた。  智(ち)に働けば角(かど)が立つ。 情に棹(さお)させば流される。 意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。 とかくに人の世は住みにくい。  住みにくさがこうじると 、安い所へ引き越したくなる。 どこへ越しても住みにくいと 悟 った時、 詩が生れて、 画 が出来る。   人の世 を作ったものは、 神でもなければ鬼でもない。 やはり向う三軒 両隣 に ちらちらするただの人である。 ただの人が作った 人の世 が住みにくいからとて、 越す国はあるまい。 あれば 人でなし の国へ行くばかりだ。 人でなし の国は、 人の世 よりもなお住みにくかろう。  越す事のならぬ世が住みにくければ、 住みにくい所をどれほどか、 くつろげて、 束 (つか)の 間 の命を、 束の間でも住みよくせねばならぬ。 ここに詩人という天職が出来て、 ここに画家という使命が 降 (く)だる。 あらゆる芸術の士は、人の世を 長閑 (のどか)にし、 人の心を豊かにするが 故 に 尊 (たっ)とい。

囲み線 新しいページ

  下を新しいページに貼り付け ああ 問答集 (4000字超)。1996年 おお

3・4・5 中国包囲網。オーカス クアッド ファイブ アイズ

イメージ
 3・4・5 中国包囲網。オーカス    クアッド     ファイブ アイズ    ・AUKUS オーカス AUstralia     UK(United Kingdom)    US 豪英米3カ国     AUKUS オーカス ・・・・・・・・・・・ ・Quad(クアッド)4カ国    日米豪印4カ国 ※quad 4つ クアッド ・・・・・・・・・・・ ・Five Eyes    米英豪加ニュージランド 5カ国 インテリジェンス機構    アングロサクソン国家群 Five Eyes 

【武蔵観研通信】317号:2021年10月6日

イメージ
  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【武蔵観研通信】317号:2021年10月6日               musashikankenATgmail.com    ATを@に変更                                   【 編集発行  桑原政則 】    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ★ 人物  〇 崇伝(すうでん)。徳川家康の政治顧問。天海は宗教顧問 https://kuwabara03.blogspot.com/2021/10/blog-post_5.html 〇 オノコロ島でイザナギとイザナミが淡路島、日本をつくる    <古事記巡り https://kuwabara03.blogspot.com/2021/10/blog-post.html 〇 天海。徳川家康の知恵袋。10月2日没  https://kuwabara03.blogspot.com/2014/01/blog-post_7407.html 〇 天武天皇。『古事記』と『日本書紀』を編纂。国難 白村江の戦い。 <古事記めぐり https://kuwabara03.blogspot.com/2020/03/blog-post_11.html 〇 ヌルハチ(愛新覚羅。あいしんかくら)。満州人が建てた清朝初代の皇帝。Nurhaci。9月30日没 https://kuwabara03.blogspot.com/2018/09/nurhaci930.html 〇 ナーセル。エジプトの軍人大統領で、スエズ運河を国有化。9月28日没 https://kuwabara03....