太田道灌の山吹の里:越生町

(2004年7月21日初稿 改稿:2010年4月4日 2010年11月18日菊花を追加  2016年6月改稿)


川越菊まつり@喜多院。2010年11月17日
越生(おごせ)駅から10分の所に「山吹(やまぶき)の里歴史公園」があります。
*山 吹の里の位置 Mapion


 ある日、太田道灌(1432-1486)はにわか雨にあい、粗末な家にかけこみました。
「蓑(みの)を貸してもらえぬか。」と声をかけると、少女が出てき ました。

その子は、蓑ではなく山吹の花をだまって一輪さしだしました。
太田道灌は「ほしいのは花ではない」と怒り、ぬれながら帰宅しました。
*蓑 虫 【画像】蓑に由来する虫


その夜、太田道灌は近臣から、古歌を示されました。

    七重八重  花は咲けども
    山吹の  み(実)のひとつだに
    なきぞかなしき
 
娘は蓑ひとつなき自宅の貧しさを山吹にたとえたのでした。
太田道灌は、不明を恥じ、この日を境に歌道に精進するようになったと言われます。
*ここの山吹は、八重山吹(ヤエヤマブキ)といって、実がみのりません。

太田道灌は、1457年に父と川越城を築きました。
兵法に長じ、歌人としても名高く、漢詩文の素養にもすぐれていました。

 「七重八重(ななえやえ)

    花は 咲けども
    山吹の
    みのひとつだに
    なきぞ
    悲しき

山吹の花

しだれた枝が風になびくさまを「山振(やまぶり)」と表現し、 「山吹」になったと言われています。
山吹はバラ科に属します。

山吹色とは、わずかに赤みを帯びた鮮やかな黄色です。

 山吹橋のたもとに鶴が

 【cf.】竜門冬二『小説 太田道灌』PHP文庫、1994年