(首都圏けんてい・どこでも探検隊)さきたま古墳公園(埼玉・行田)古代しのぶ国宝鉄剣の里
- 2012/1/24付
- 日本経済新聞 朝刊
- 1010文字
埼玉県行田市埼玉(さきたま)は県名発祥の地として知られる。これとともに名高いのが、埼玉古墳群がある、さきたま古墳公園だ。園内には県立さきたま史跡の博物館(電話048・559・1111、一般200円など)があり、当時の暮らしも学べる。古(いにしえ)の埼玉に触れてみたいと、足を運んだ。
同公園には、前方後円墳8つと円墳1つが集まる。5世紀後半から7世紀初めごろまでに造られたとみられ、40以上の古墳が存在した時代もあった。現在ある計9つのうち4つが全長100メートルを超え、これだけの規模の古墳が集まる古墳群は珍しい=写真。1976年から公園として整備が進められた。
公園は道路を隔てて北側と南側に分かれており、主に北側を巡るコースを選ぶ。しばらく歩くと、右手に数十本の木が生えた場所が見えてきた。これは園内で最も小さい愛宕山古墳(前方後円墳、全長約53メートル)。かつては円筒埴輪(はにわ)や人物埴輪が出土したという。
さらに北を目指すと、案内役の同博物館主席学芸主幹、田中英司さんが「この道が石田堤(いしだづつみ)です」と教えてくれた。1590年(天正18年)、安土桃山時代の武将、石田三成が同市にあった忍城(おしじょう)を水攻めにした時に築かれたもので、小説「のぼうの城」でも描かれ、歴史ファンの人気も高い。
道を突き当たりまで進むと、目の前に日本最大の円墳として知られる丸墓山古墳(直径約105メートル)があらわれた。小山のような高さ約19メートルの古墳の頂上に立つと、忍城の周辺が見える。石田三成もこの頂上に陣を敷いたとされ、戦況を把握するのに絶好の場所だと納得できた。
丸墓山古墳を離れ、国宝の「金錯銘鉄剣」などが出土した稲荷山古墳(全長約120メートル)、埋葬の様子を後円部に設けられた展示館で見ることができる将軍山古墳(全長約90メートル)など、残る前方後円墳を巡る。中でも公園内最大の二子山古墳(全長約138メートル)は二つの山があるように見え、スケールの大きさは圧巻だ。
博物館には出土品展示室もあり、さびを防止するため窒素を循環させたガラスの中に収まった金錯銘鉄剣を見ることができる。火おこしなど体験でき、興味をかきたてられる。
▼人気指数
○さきたま史跡の博物館の入館者数は年間約10万人。公園の来場者数は年間100万人程度
○博物館では受付で販売している鉄剣をかたどったえんぴつ(2本100円)が人気
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