2012/09/14

シンガポール派日本人(NK2012/3/18)


シンガポール、人脈駆使

2012/3/18付
日本経済新聞 朝刊
1459文字
 昨秋、シンガポールの高級ホテルで開いた日系石油化学会社の工場新設パーティー。慣れない法被を着せられ、鏡開きで飛び散った日本酒でずぶぬれになりながらも同国経済開発庁(EDB)のレオ・イップ会長(48)は訴えた。「我が国はみなさんの発展に全力で貢献してまいります」
 EDBは政府系投資会社テマセク・ホールディングスと並ぶ都市国家シンガポール独特の戦略官庁。日中印欧米の主要都市に拠点を展開し、外資誘致にまい進する。欧州危機による混乱にもかかわらず、昨年のシンガポールへの直接投資は過去最高水準の137億シンガポールドル(約9千億円)に達した。
 そのトップに君臨するイップ氏が意を強くしていることがある。「ミスター・オオツボ、コバヤシ、フジワラ……彼らは我が国の強みをよく理解している」。パナソニックの大坪文雄社長、三菱商事の小林健社長、旭化成の藤原健嗣社長の3人に共通しているのは、同国現法社長・支店長を経てトップに上り詰めた点だ。
 そんな日本の「シンガポール派」の頂点に立つのが、米倉弘昌・住友化学会長だ。1970年代の課長当時、同国初の石油化学コンビナート建設に奔走。住化進出を礎に同国はアジア随一の石化拠点に躍進した。経団連会長を務める今でも激務を縫って同国を訪れる。
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 シンガポールがシンパの獲得を急ぐのは、周辺新興国の激しい追い上げに直面しているからだ。人口も国土も限られ、天然資源はゼロ。「絶えず高付加価値業種を誘致・育成しないと豊かさを維持できない」という強い危機感がある。
 誘致対象で重視するのは製造業だ。伝統の石化に加えて、製薬と電子部品の3業種。そしてアジア統括拠点の誘致だ。パナソニックの大坪社長は1月、アジア・太平洋の戦略統括拠点をシンガポールに新設した。
 EDBが企業誘致するうえで武器とするのが税制だ。法人税の最高税率は17%と世界屈指の低水準だが、実は進出企業の税負担はさらに軽い。技術移転の有無や提供する雇用や賃金の中身に応じて税金を割り引く。「債務危機で欧州企業は困っている。追加の税負担軽減をちゅうちょしない」。対応は柔軟だ。
 ゆとり度外視の競争教育を通じて育成した人材も売り物だ。「世界の共通語はアメリカンだ」。リー・クアンユー元首相は昨年、教職員を集めた会合で、英語と語調が異なる米国英語による教育を提案した。英語人材の確保にさえ四苦八苦する日本企業の置かれた状況とは問題意識の次元が異なる。しかも、労働力の大半は中国語とのバイリンガルというおまけ付きだ。
 そんな環境にひかれて最近、シンガポール派に異色の新人が加わった。「ここだと中国とかインドとか世界経済の動向が分かるんだ」。港を見下ろす59階の新オフィスでHOYAの鈴木洋最高経営責任者は話す。
 今年から東京本社はそのままに家族を伴い執務拠点を移した。震災をきっかけに代表的な高付加価値製品であるマスクブランクス(半導体回路原版)の生産拠点も年内に操業する。シンガポールが最も好むタイプの投資だ。
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 シンパは日本企業にとどまらない。英製薬大手グラクソスミスクラインや資源世界最大手BHPビリトンの現トップはシンガポールで経験を積んだ。
 国の規模や歴史が異なるため、日本とそのまま比べるのは無理がある。しかし、アジアの都市間競争の比較はどうか。シンガポール港のコンテナ取扱高は東京・横浜・神戸港合計の3倍に達し、世界一を上海港と競う。シンガポール派の台頭は日本の苦境の裏返しでもある。
(シンガポール=佐藤大和)