寿命1000年 ジョナサン・ワイナー著 「老化」に真正面から挑む潔さ 〈評〉ノンフィクションライター 最相葉月
- 2012/9/9付
- 日本経済新聞 朝刊
- 916文字
人の寿命は将来、1000歳になる。ケンブリッジ大学教授のオーブリー・デ・グレイがそう断言するたび、著者は思った。「こいつはつきあいきれない!」
ところが、デ・グレイは多くの老年学者が登場する本書の主役に抜擢(ばってき)された。もしや著者はトンデモ学者に魂を売り渡したのか。そんな好奇心から読み始めたら、頁(ページ)を繰る手が止まらない。デ・グレイは、活性化するゲノム医学の追い風に乗って近年にわかに注目され始めた老年学界の、いわばトリックスター的存在なのだ。
老化の原因は突きつめれば七つある。分子の絡み合い、ミトコンドリアの劣化、細胞内の老廃物、死んだ細胞がまき散らす毒素、遺伝子の突然変異などだ。こうしたダメージを未然に防いだり病気を食い止めたりする研究がこれまで行われてきたが、デ・グレイの「工学的アプローチ」はまったく違う。最大の特徴は、老化を自然現象ではなく病気と捉えたこと。老化は代謝の過程で排出された老廃物が体内に蓄積されて起こる病気だから、細胞内でほうきの役割を果たす機能を強化して掃除を徹底すれば治る、というのである。
証明するのは容易ではない。実験室をもたない自称・理論生物学者の彼には理解者はいても、実験を請け負う仲間はいない。細胞の老化に関わるテロメラーゼ遺伝子を取り除くがん予防法を発表した時には、患者を殺してしまうと生物学者が激怒した。それでも一部の支持を得ているのは、華やかなアンチエイジング・ブームの陰で学派対立に忙しく、蛸壺(たこつぼ)化していく学界の盲点を鋭く突いているからだ。終始懐疑的な著者も、老化に真正面から闘いを挑む潔さは認めざるをえないと評価している。
とはいえ、本書を読めば、進化の過程で老化を選びとった結果、人類の繁栄があることはよくわかる。老化を拒絶することは進化を放棄することになるのでは。そう考えると、不死身な1000年がとてつもなく退屈な人生に思えてきた。昔、「老いぼれる前に死にたいもんだ」と歌ったロック歌手がいたけれど、未来からは「老いぼれてもいいから死にたいもんだ」という嘆き節が聞こえてくる。
(鍛原多惠子訳、早川書房・2300円)
▼著者は米国のサイエンスライター。