(今を読み解く)観光事業をつくり直す
地域の魅力を再生へ ツーリズム・マーケティング研究所主席研究員 磯貝政弘
- 2011/8/14付
- 日本経済新聞 朝刊
- 1639文字
国内景気の低迷が長引くなか、観光が救世主として注目されている。経済の危機的状況、人口減少と高齢化に悩む地方において、その傾向は特に顕著だ。
取り組みが広がるなかで、新しい魅力的な観光地や事業が生まれてきたのは事実だが、成功例を形だけまねた事例がその何倍も作られた。粗製乱造の背景に、短兵急な経済効果への期待があることは間違いない。
●若者が旅行離れ
しかし、今の時代に創り出さなければならないのは、経済成長と引き換えに失われた文化、歴史、個性的な魅力の再生であり、そのためには地域ぐるみで長い時間をかけて努力しなければ実現できないはずのことだ。それを抜きにして観光事業を始めたとしても、経済効果だけを露骨に狙おうという魂胆は隠しようもない。遊び心のかけらもない、打算だけでつくられた観光事業を、誰が楽しめるだろうか。そして1997年の世界的な金融危機以降の社会変化とともに、低迷期に入った感のある日本の観光マーケットを再浮上させることは難しい。ましてや訪日外国人3000万人という目標など夢のまた夢だろう。
山口誠『ニッポンの海外旅行』(ちくま新書・2010年)は、最近話題になっている若者の海外旅行離れの原因を、観光メディアの変化とその背景となる社会状況に求めている。
76年に世に出て以降、数多くの若者をバックパッカーとして海外へ送り出すきっかけとなった『地球の歩き方』。しかし、85年のプラザ合意で円高が進行したことで、海外旅行は本格的に大衆化する。『地球の歩き方』の読者の中に、高い購買力を身に付けた「OL」が増え、ショッピングとグルメなど「都市型消費の情報」が掲載されるきっかけとなった。このことがその後に及ぼした影響は大きかった。
バックパッカーがしてきたのが、旅先の日常生活の中を「歩く」個人旅行であったとすれば、若いOLたちの旅行は「買い・食い」行動中心の「歩かない」個人旅行だ。それはまた「旅先の日常生活が伝えてきた歴史や文化」との深い繋がりを断ち、「金を介した消費行動だけで辛うじて」旅先との接点を持つ個人旅行でもある。それによって起こったことは、旅先の日常生活への想像力の欠落であり、そこから旅先への関心の消失までの距離は遠くなかった。
そうした意味で危惧されるのが、昨今の「世界遺産」ブームである。佐滝剛弘『「世界遺産」の真実』(祥伝社新書・09年)が懸念するのは、「世界遺産」への「過剰な期待」によって、大きな落とし穴が見過ごされている点だ。集客力がクローズアップされる一方で、「自然保護、文化財保護の枠組みの頂点に君臨する」のが世界遺産であることは忘れられやすい。「大きな集客力」ゆえに「保護」が難しいのが世界遺産であることをここでは強調しておきたい。
●世界遺産の活用
また、「予備知識なし」でも「すごさを体感できる」ものと、「背景の理解なしには、その価値が理解できない」ものとがあることも、世界遺産を活用した観光事業の難しさである。これは世界遺産に限らず、観光事業に常に付随する課題だといえるだろう。その意味でも、今年登録された平泉が、東北復興にどれだけ寄与するか注目したい。
千葉千枝子『観光ビジネスの新潮流』(学芸出版社・11年)は、07年に施行された「観光立国推進基本法」に則(のっと)り、国が現在進めようとしている観光事業を一覧できる文献として貴重だ。
「スポーツツーリズム」「メディカルツーリズム」「MICE」「産業観光」「文化観光」「スクリーンツーリズム」などなど、一般には耳慣れない用語が並んでいるが、いずれも海外において成功事例が存在し、その大きな経済効果が認められているものである。ただし、これらが先に触れた観光事業者とマーケット(旅行者)との間に生じたズレを解消し、日本人の観光旅行を促進させることができるのかどうか。また、放射能不安を抑え、外国人の目を日本に向けさせるだけの魅力が作り出せるのかどうか。今後の展開を見守りたい。
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