東北は幕藩制を遵守しすぎて敗北(NK2012/8/30)




あすへの話題南北戦争と戊辰戦争 考古学者 小山修三

 アメリカ南部が保守的なのは、デジタル化した便利な現代に乗り遅れた感をもつからなのだろうが、さらにその背後には150年以上も前の南北戦争の古傷の痛みがあるような気がする。
 彼らに言わせると、あの戦争は工業化の進んでいた北部が、農業を基盤とした南部を力ずくで蹂躙(じゅうりん)した侵略戦争なのであると。確かに大地主による綿花プランテーションは奴隷制に支えられていて、今日の目でみると許せないものだが、それを変革するにしても、戦争ではなくもっとゆっくりとした過程を踏むことができたはずだ。
 また、リー将軍などの名将が南部側についたとか、南のプライドを守るために孤軍奮闘して戦死した若い士官とか、あの時ああやっていればとか、負けた側にも心を打つ逸話は多くある。それをやや間のびした南部なまりで聞いていると、戊辰戦争のことがふと浮かんだ。
 農業を中心に幕藩制を遵守(じゅんしゅ)してそれなりに安定した社会を営んでいた東北と、外国と関わることで商業化が進みつつあった西日本との対立という構造である。これを「情報」という観点からみれば、東北は伝統を守ろうとする意識が強くなりすぎて「情報」を締めだし、孤立の状態に陥ってしまったことが悲劇に結びついたといえる。
 ところで、南北戦争と戊辰戦争は内乱という様相だけではなく、もっと直接的な関係がある。不要になった大量の武器が日本に持ち込まれ、それが戊辰戦争の帰着を決める鍵になったことである。ソ連崩壊後の各地の内乱や中東戦争の背後にも武器商人の暗躍があったことが思い浮かぶ。歴史には常にこのような影の部分があったことを忘れてはならないだろう。
関連キーワード
小山修三、南北戦争、戊辰戦争、あすへの話題