・日本も遠からずノマド形社会に。
・北欧のように、解雇もしやすい代わりに、国家が職業訓練などの社会保障を完備する仕組みを。
「ノマド」という働き方
日本社会の変化映す 社会学者 古市憲寿
最近書店に行くと、目立つ位置に「ノマド」や「自由な働き方」という題名の本が置かれている。「ノマド」とは英語で遊牧民という意味。遊牧民のように、何にも囚(とら)われずに自由に働く人たちのことをノマドワーカーと言ったりする。たとえば本田直之著『ノマドライフ』(朝日新聞出版・2012年)では世界中を飛び回る著者が、ノマドの素晴らしさを延々と説いている。
「ノマド」という言葉は実は新しいものではない。20年以上前に黒川紀章は『ノマドの時代』(徳間書店・1989年)を出版、情報化時代には個人と個人は特定の目的でつながる生き方が当たり前になることを予測していた。
しかも「ノマド」と似た概念というのは、40年以上前から存在する。「脱サラ」だ。会社に雇われず、やりがいのある自由な仕事をするという意味で、ノマドと大きな違いはない。その後も「フリーター」「フリーランス」「インディペンデントな生き方」「起業家」ブームが起きてきた。時代に合わせて名前を変えながらも、日本人たちは常に「自由な働き方」を渇望してきたのだ。
●標準労働者とは
なぜ日本では「ノマド」的なものが繰り返しブームになるのだろうか。それは逆説的だが日本が極めて安定的な社会だったからだろう。行政用語に「標準労働者」という言葉がある。「学校卒業後直ちに企業に就職し、同一企業に継続勤務している」労働者のことだ。このような働き方を「標準」だと言えてしまうくらい、戦後日本は極めて安定した社会だった。菅山真次の『「就社」社会の誕生』(名古屋大学出版会・11年)によれば、そのような安定した雇用社会が、50年代に始まったのだという。
高原基彰の『現代日本の転機』(NHK出版・09年)によれば、戦後日本は〈会社による「安定」〉か、〈会社からの「自由」〉かという2つの極端な理想像の間を激しくぶれながら行き来してきたという。一度企業に入ってしまえば、定年までの「安定」が保証される。しかし、「安定」を得るためには「自由」を差し出さなくてはならない。それが日本社会で「自由な働き方」を求める議論が流行し続ける理由だ。
10年の国勢調査によれば、日本人の約8割が雇われて働く人だ。実はこの数字は過去最高。一方で自営業者の割合は減少し続けていて、約1割。磯辺剛彦・矢作恒雄著『起業と経済成長』(慶応義塾大学出版会・11年)が指摘するように、日本は国際的に見て最も起業活動が低調な国の一つだ。
しかし徐々に事態は変わりつつある。「自由」が価値を持つのは、「安定」が当たり前のように存在する時だけだ。新書なのに500ページを超える小熊英二著『社会を変えるには』(講談社現代新書・12年)が言うように、日本はアメリカから20年遅れてポスト工業化社会に突入した。そこではピラミッド型の会社組織は減り、人々の働き方は多様化していく。
●「自由」とリスク
つまり望むと望まざるとにかかわらず、日本人の働き方は「ノマド」的にならざるを得ないのだ。ダニエル・ピンク著『フリーエージェント社会の到来』(ダイヤモンド社・02年)によればアメリカの労働人口の4分の1は「フリーエージェント」だと言う。これは未来の日本の姿でもある。
しかし会社に雇われず、自由に働くことには相応のリスクが伴う。特に、国家の代わりに企業が社会保障を提供してきた日本では尚更(なおさら)だ。自由に働く人々は景気の影響をダイレクトに受ける。仕事を失った大量のノマドたちが難民になる可能性だってある。難民を生み出さないために、ヨーロッパではポスト工業化社会に合わせて、多様な働き方を許容する社会保障制度が整備されてきた。橋本努著『ロスト近代』(弘文堂・12年)が「北欧型新自由主義」と呼ぶ、労働市場は流動的で、解雇規制も緩い代わりに、国家が職業訓練などの社会保障を完備する仕組みだ。
「ノマド」ブームを個人の働き方の話と考えていると問題の本質を見逃す。「ノマド」が問うているのは、日本人全ての働き方であり、社会保障を含めた社会のあり方なのだ。
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