源頼朝によって地頭職に任命された島津忠久は、「地頭」という荘園の役人に付随する権利を獲得したにすぎなかった。
島津忠久【しまづ・ただひさ】(?-1227) 頼朝の側近
鎌倉時代の武士。頼朝に仕え、文治元年(1185)6月に伊勢国波出御厨【いせのくに・はたのみくりや】などの地頭職に補任された。薩摩国・大隅国に多くの所領を持ち、建久8年(1197)頃には薩摩・大隅の両国に日向国【ひゅうがのくに】を加えた三ヶ国の守護に任じられた。
伊勢国波出御厨【いせのくに・はたのみくりや】
現在の三重県津市一志町波瀬付近。「御厨」というのは、伊勢神宮に神饌を貢進する所領で、伊勢神宮を本所とする荘園のようなもの。波出御厨、平家の有力武士である平信兼【たいらののぶかね】の所領であったが、信兼が滅ぼされた後、島津忠久が地頭職に補任された。
<本郷 3-4
【cf.】 高島 比企学
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