渋沢栄一 記念館。深谷市

渋沢栄一(1840- 1931、91歳齢)は、明治・大正に活躍した実業家、「近代日本資本主義の父」です。

20代で渋沢栄一は倒幕計画を試みました。しかし中止します。
15代・徳川慶喜(よしのぶ)の家臣となります。

1867年パリ万博使節団に随行し、西欧の思想文化社会を勉強します。

1868年、幕府が倒れたために、帰国します。
1869年、大隈重信に説得され、明治政府に仕官します。

その後、最大の輸出品・生糸の生産のために富岡製糸場の設立に尽力します。

1873年、34歳の時、実業界に転身します。

第一銀行(→みずほ銀行)、王子製紙、理研、キッコーマン、 一橋大学、日本女子大、…など500余の設立に関わりました。

600以上の社会福祉事業にもかかわりました。

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・家業の藍玉(あいだま)、養蚕の製造販売で商才がみがかれました。
・渋沢栄一は、渋沢財閥をつくりませんでした。「私利を追わず公益を図る」ためでした。
・『論語と算盤』で、「道徳経済合一説」をとなえました。
・1963年千円札の肖像候補になりましたが、ヒゲを生やしていなかったので、伊藤博文にとって変わられました。ヒゲは偽造防止用に必要でした。
・「栄一も食べたネギ入り煮ぼうとう」  さいたま郷土かるた
・伊藤兼子(川越出身)と再婚
・フランス文学者の澁澤龍彦
・孫:
    渋沢敬三: 民俗学者、日銀総裁。穂積重遠 :法学者。 尾高邦雄:社会学者、妻は哲学者和辻哲郎の娘。尾高尚忠 - 指揮者、作曲家。

・深谷と川越は、舟運で栄えた。


渋沢栄一記念館
    年譜
    渋沢史料館 北区西ヶ原
渋沢栄一デジタルミュージアム 深谷市
    渋沢栄一 物語

右手に論語をもつ渋沢栄一。渋沢栄一記念館の裏手。
渋沢は「五尺(150センチ)の子爵(四尺)」とよばれました。
2017-05。深谷市

富岡製糸場が世界遺産に。2014年


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