川越・喜多院1月3日は、だるま市。元三大師(がんざん だいし)の命日 <川越
元三大師(がんざん だいし)、良源 * wp |
・912年10月15日。 近江国~
985年1月31日没。73歳。第18代 天台座主。天台宗中興の祖
川越の喜多院では、正月3日が初大師で混みあいます。
良源は、元日の3日に永眠しましたので、元三(がんざん)大師 とよばれます。
良源は、天台座主 (ざす)もつとめた比叡山延暦寺中興の祖です。
比叡山の経済を立て直し、学問の向上をはかり、規律の維持につとめました。
良源は、都を守り、比叡山を守るために、自分の遺骸を比叡山の鬼門(=京都の東北)に捨てるよう、言い残しました。
慈恵(じえ)大師の称号を朝廷から贈られました。
良源は、厄除 (やくよ)けの大師として信仰を集めています。
角大師(つのだいし)、豆大師、降魔(ごうま)大師といった異称をもっています。
比叡山の経済を立て直し、学問の向上をはかり、規律の維持につとめました。
良源は、都を守り、比叡山を守るために、自分の遺骸を比叡山の鬼門(=京都の東北)に捨てるよう、言い残しました。
良源が得度したころは、比叡山は南都(奈良仏教)の風下に立っていましたが、比叡山が上に立つべくつとめました。
良源は生涯で2度(937年と963年)比叡山を代表して南都と論争し、南都をまかしました。
これによって教団の位置を飛躍的に向上させました。
慈恵(じえ)大師の称号を朝廷から贈られました。
良源は、厄除 (やくよ)けの大師として信仰を集めています。
角大師(つのだいし)、豆大師、降魔(ごうま)大師といった異称をもっています。
角大師(つのだいし)の厄除けふだ |
やせさらばえた恐ろしい形相で病魔悪霊を退散させます。
門札(かどふだ)を家の門戸(もんこ)に貼っておきます。
豆大師 |
慈慧大師の豆大師は、33体の豆粒のような大師像です。
豆は「魔滅」を意味します。
豆は「魔滅」を意味します。
降魔(ごうま)大師の面 |