・1874年1月25日。パリ~
1965年12月16日没。91歳。フランス ・ニース
サマセット・モームの肖像
ラッフルズホテル(SIN)のモームの部屋 |
サマセット・モーム(Somerset Maugham)は、小柄で吃音症(どもり)でした。
内気な性格でもあり、フランス育ちでフランスなまりの英語のために、級友にいじめられ、
悲惨な学校生活を強いられました。
母と父は、10歳までに死んでしまいました。
英文壇での評価は通俗作家でした。
超エリートの兄とは犬猿の仲でした。
兄の613ページにわたる自叙伝には、モームのことは、ほとんど記されていません。
これらのことが相まって、とくに同性愛だったことがコンプレックスとなって、モームに作家の道を、ひいては諜報員の道を選ばせました。
秘書二人が、生涯にわたって、同性愛の相手役でした。
この時代には、同性愛は猥褻罪で禁固刑や国外永久追放でした。
オスカー・ワイルドは、ホモであることを、公言して、禁固刑に処せられました。
スパイになるには、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語が話せたことも有利でした。
ルーズベルト大統領がCIA(Central Intelligence Agency、中央情報局)を設置する際は、イギリス人のモームはアドバイザーにもなりました。
1919年から1926年にかけて、東南アジアを精力的に旅しましたが、それは、ABCD対日包囲網構想(※ )のもとに、大東亜共栄圏構想を封じるための事前工作でした。
【※】ABCD対日包囲網:
第2次世界大戦の開始前,アメリカ America,イギリス Britain,中国 China,オランダ (蘭印) Dutch East Indiesが提携して日本の膨張政策に対抗した事態。
イアン・フレミングの『007』のモデルは、モームのようです。
モームは、ボンドなみに下のように死地を乗り切っています。
- スイスでの諜報活動
- 南太平洋での諜報活動
- レーニン革命阻止作戦
- ABCD対日包囲網構想の下調べ
- ナチス・ドイツに対する諜報活動
- フランス脱出
- 米国での反ナチ活動
モームの作品は、諜報活動の副産物です。
シンガポールのラッフルズホテルに長期滞在しました。タイのオリエンタルホテルも諜報活動の舞台でした。
1919年に『月と六ペンス』で人気作家となりました。
やさしい文体と物語りの妙で有名でした。
モームは面白い作品こそが自らの文学であると言っていました。
わたし(桑原政則)の受験時代(1960年代)、英語の長文問題は、
バートランド・ラッセル、
オルダス・ハックスリー、
サマーセット・モーム
から出されました。
その頃は入試には英単語7000が必要とされていました。
サマーセット・モーム 【+12】
月と6ペンス 【5+】朗読
【名言】
「成功の大部分は、訓練の賜物である」
* * *