2009年6月18日

豊国(とよくに)神社の深秘(じんぴ) #2

  • 秀吉の天下のころ、紀州の根来には根来衆(ねごろしゅう)とよばれる僧兵が1万人いました。
    根来衆は、家康としめしあわせ、秀吉を責めることを画策していました。
  • 1595年、秀吉は10万もの大軍を宗教都市である根来(ねごろ)に繰り出し、根来寺(ねごろじ)内の2000もの堂舎を焼き尽くしました。
    「秀吉の根来攻め」といわれます。
  • 1601年、家康は紀州の根来寺(ねごろじ)内にあった智積院 (ちしゃくいん)を京都に再興させます。
  • 智積院には、ほろぼされた根来衆の怨念がこもっています。
    しかも新しい智積院 は、秀吉が長男捨丸(すてまる)をとむらうために建てた寺の土地に建てられました。
  • 1602年、家康は東本願寺を建立します。
    「神 秀吉の道」をぶった切るためです。
    • 「本願寺」は通称「西本願寺」とよばれています。
      「東照宮」とは日光の東照宮の正式名称ですが、「日光東照宮」とよばれているようなものです。
      「神宮」とは伊勢神宮の正式名称です。 
  • 1615年、家康は朝廷にお願いして、豊国神社の神号を廃させました。
    これで、神 秀吉はなくなりました。
    • これで、「不死身」を願って京都の「伏見」に居城を建てた秀吉の夢は消え果てました。
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  • 豊国廟(びょう)、豊国神社創立に尽力したのは、梵舜(ぼんしゅん)です。
    家康は、梵舜について神道を深く学びました。
    秀吉を神にする深秘(じんぴ)を知るに至りました。
    のちに、みずからを神にする秘儀も学びました。
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  • 寺社には深秘(じんぴ)が必要なゆえんです。

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