夏目漱石。代表的文豪。正岡子規の親友。12月9日没
夏目漱石 |
【3分】明治の文豪【夏目漱石】の年収は? NHK
・1867年2月9日。東京新宿~1916年12月9日。 東京新宿。49歳
東京大学で英文学を学んだ漱石は、
中学校の英語教師として松山市に赴任します。
松山出身の俳人・正岡子規と交流を深めます。
子規から俳句の影響を受けました。
1900年、漱石は、ロンドンに留学します。
西洋のまねばかりしている日本に疑問を持つようになります。
その後、漱石は、東京大学の教師をやめ、
新聞社に転職し、
小説家になりました。
『吾輩は猫である』、
『坊っちゃん』、
『三四郎』、
『それから』、
『心』などの作品を発表します。
近代化で苦悩する人物が
描かれています。
漱石の小説は、世代をこえて読みつがれています。
【門下生】
寺田寅彦。 小宮豊隆、 鈴木三重吉、森田草平、野上豊一郎。 安倍能成、阿部 次郎。久米正雄、芥川龍之助
【名言】人間の不安は科学の発展から
「人間の不安は科学の発展から来る。
進んで止まる事を知らない科学は、
かつて我々に止まることを許して呉れた事がない。」
< 夏目漱石『行人(こうじん)』
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