聖徳太子。日本初の自主外交を行なう。隋の煬帝(ようだい)と対等の交渉
聖徳太子。日本を天皇中心の国にする。飛鳥文化。仏教をさかんに
隋、高句麗と日本 |
聖徳太子は、隋の煬帝(ようだい)に自主外交をおこないました。
聖徳太子は607年に小野妹子(おの の いもこ、男性)を遣隋使として派遣し、
「日出ずるところの天子,書を,日没するところの天子にいたす。つつがなきや」
と書き送りました。
隋の煬帝は日本からの対等の外交文書に怒ったことでしょう。
2年後にも、聖徳太子は隋の煬帝に国書を送りました。
対等の姿勢を崩しませんでした。
「東の天皇,つつしみて,西の皇帝にもうす」。
巨大帝国の隋の(ようだい)には、
どの国も、朝貢(ちょうこう)の形をとっていました。
中国皇帝には、臣下の礼をとり、服従するのが決まりでした。
【※】朝貢
朝廷に貢(みつぎ)ぎ物をさしあげて、臣下の礼をとること。
しかし、聖徳太子は、最初から隋を対等において、日本の自主外交を始めました。
隋に学んだ国造り 冠位十二階 NHK
【隋の略史】
魏呉蜀の三国志の時代を経て、
581年隋が中国を統一しました。
【※】秦も隋も遊牧民族です。
朝鮮半島では新羅、百済が隋に朝貢していました。
隋は高句麗の征服をはかり、3回にわたり攻めました。
遠征中に中国各地に農民反乱が起き、隋の国力も衰退中でした。
聖徳太子は高句麗との通信で、
隋の国情を知っていました。
「日米地位協定」の改訂を
いま、日本は「日米地位協定」により、アメリカの占領国のままになっています。
アメリカは軍事基地を日本内に意のままにつくることができます。
ドイツとイタリアでは、「地位協定」はとっくに改定されています。
「日米地位協定」は日本のためにもアメリカのためにもなりません。
「日米地位協定」を改定すべきです。
アメリカへの過剰依存、過剰期待は
双方のためになりません。
これがある限り、日本は煮え湯を飲まされ続けます。
アメリカはある時、さっと「日米地位協定」を廃棄することもありえます。
いま米中は共倒れの運命にあります。
聖徳太子の自主外交を見習って、自立自尊しましょう。
歴史を学ぶ意義は、こんなところにもにあります。
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