投稿

ホームレス救済団体の思い違い

あるアメリカの団体ははホームレスの人々のために、食事と雨露をしのぐザービスを提供していました。 長い期間、このようなことを続けていましたが、あるときこれらの人々に「何を望むか」のアンケート調査をしました。 わかったことは、 ホームレスの人々が望んでいたものは、「シャワー」と「ロッカールーム」でした。 彼らは、その施設で食事をめぐんでもらって、寝るだけでは、飼い殺しになって、自分がだめになってしまうとわかっていました。 そこを脱出するためには、就職試験を受ける必要があります。 そのためには清潔な体にこざっぱりした服装のための「シャワー」、一時的に所有品を納する「ロッカールーム」が必要でした。 相手目線、ユーザー目線、顧客目線の必要なゆえんです。

聖徳太子:日本社会の徳目は「和」

聖徳太子(574ー622)は、「和」がなによりも大事なことを知っていました。 それゆえ 「和をもって尊しとなす」を十七条憲法の第1条におきました。 和とは、古代から現代に至るまで、日本人にとって一番大切な徳目です。 和は儒教の重要徳目である 「仁・義・礼・智・信 」のなかに入っていません。 このことは、和は儒教精神とはかかわりのないことを示し、日本が儒教国でないことを意味します。 聖徳太子の十七条憲法は、「和」「仏教」「天皇」からなっていますが、太子は仏教よりも、天皇よりも「和」を先に置きました。 十七条憲法は、公務員の心構えを示したものです。 日本のまた世界の社会が、企業が、地域が、家庭がこわれてしまったのは、和がなくなったからです。 パワーに物を言わせて、世界に「自由」「民主主義」を、また「市場原理主義」を押しつける時代は終わらねばなりません。 日本人は、1対1では外国人にかなわなくとも、5対5でしたら、圧倒します。 和の力です。 「 日本人の強みは、組織の構成員として、一種の『家族意識』を有することにあ る」 と経営学の神様ドラッカーも言っています。 ◇                    ◆                    ◇ 江戸時代が見直されています。 江戸時代には、地方分権が確立し、「地産地消」が当たり前でした。 幕府は企業のいいなりになったりしませんでした。 (経団連という不可思議な組織もありませんでした。) エコ社会でした。 使える物は使い尽くす循環型社会でした。 武士も貧しく、大名も土地をもたない平等社会でした。 労働時間は4時間ほどでした。 「安心」「安全」「平等」そしてなによりも「和」のためには、「ゆっくり、ゆったり」社会が必要です。 というのは、しあわせは物ではなく心にあるからです。 明治以降の政府はみずからを正しくみせるために、江戸を悪く言い続けています。 江戸時代を見直すときです。

健康お宅は不健康?

スポーツクラブのサウナで、やせぎすの年配者が多分ほめてもらおうと思って、健康そうな小太りの人に話しかけました。 やせぎす老人「今年はもうタバコも吸わなくなったよ。ビールものみたくなくなったよ」 小太り中年「なにっ!飲みたくない!。 そりゃ、やばいよ。 ひょっとしたら、ひょっとするよ」 やせぎす(自慢げに)「体重も2キロ減ったよ」 小太り「やばいね-。前みたいに泳いでいるの」 やせぎす「いや…」 小太り「肌もつやがないよ。たるんでるよ」 やせぎすの健康お宅「…」 小太りのスポ根男「だめだよ。ビール、無理しても飲んで体重ふやさないと。 ほんとに、ひょっとすると、ひょっとするよ」 やせぎす「…」 ---------- スポーツクラブが「不健康センター」になったような一幕でした。 ただただ、健康お宅になって、体重、食事、運動に、ピリピリ神経質になるよりも、週に1度は好きなものを快食したりする方が、健康にはいいのかもしれません。 〇〇療法が効くのも、本人が明るく信じていれば、心が体を治すからでしょう。 その意味では、健康強迫症になって苦しみながら健康法を守るより、ひょっとしたら、楽しく生きる小太り男の方が健康で長生きかもしれません。