太田道灌。江戸城を築いた武将。Ōta Dōkan。8月25日没 <川越の先人
太田道灌。江戸城を築いた武将。Ōta Dōkan。8月25日没。<川越の先人
| 太田道灌 |
・1432年~ 1486年8月25日没。54歳。室町時代後期
太田道灌は、室町時代の武将です。
江戸時代の人ではありません
1457年に江戸城、河越城を築きました。
【※】扇谷(おうぎがやつ)
扇のように谷が入りくんだ鎌倉の地形を言います。
30数回いくさをして一度も負けたことがない名将でした。
しかし、主君・上杉定正に殺されました。
「七重八重 花はさけども 山吹やまぶきの
みのひとつだに なきぞ悲しき」で有名です。
【名言】
「急がずば ぬれざらましを
旅人の あとより晴るる
野路の村雨」
孤鞍衝雨叩茅茨 /孤鞍(こあん) 雨を衝いて 茅茨(ぼうし)を叩く
少女爲遺花一枝 /少女 爲に遺(おく)る 花一枝(いっし)
少女不言花不語 /少女は言わず 花語らず
英雄心緒亂如絲 /英雄の心緒(しんしょ) 亂れて絲の如し
< 訳 >
たった一人馬に乗ってにわか雨の中を進んでいくと
茅葺屋根の小屋があったので、門を叩いた。
出てきた少女は蓑は貸してくれず、花を一枝差し出した。
少女は何も言わない。花は何も語らない。
英雄の心のうちは糸のように乱れた。
太田道灌:江戸城、川越城、岩槻城、越生町、日暮里の道灌山
太田道灌は、室町時代の武将です。
江戸時代の人ではありません
1457年に江戸城、河越城を築きました。
【受験】1457年 道灌
「石粉(1457)にして道灌、江戸城」
【※】「河越」 と 「川越」
「河越」は、江戸時代から「川越」になりました。
道灌は、築城、軍略、和歌にすぐれ、
主家の扇谷上杉氏(おうぎがやつ うえすぎし)のためにつくしました。
道灌は、築城、軍略、和歌にすぐれ、
主家の扇谷上杉氏(おうぎがやつ うえすぎし)のためにつくしました。
【※】扇谷(おうぎがやつ)
扇のように谷が入りくんだ鎌倉の地形を言います。
30数回いくさをして一度も負けたことがない名将でした。
しかし、主君・上杉定正に殺されました。
【※】扇谷上杉
扇谷上杉は、鎌倉の扇谷(おうぎがやつ)から生まれました。
川越市役所前に銅像が立っています。
北方からの古河公方(くぼう)の南進を防ぐために、
川越城、岩槻城、江戸城を築きました。
川越城、岩槻城、江戸城を築きました。
そのころ江戸城は、小田原城の支城でした。
「七重八重 花はさけども 山吹やまぶきの
みのひとつだに なきぞ悲しき」で有名です。
【名言】
「急がずば ぬれざらましを
旅人の あとより晴るる
野路の村雨」
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孤鞍衝雨叩茅茨 /孤鞍(こあん) 雨を衝いて 茅茨(ぼうし)を叩く
少女爲遺花一枝 /少女 爲に遺(おく)る 花一枝(いっし)
少女不言花不語 /少女は言わず 花語らず
英雄心緒亂如絲 /英雄の心緒(しんしょ) 亂れて絲の如し
< 訳 >
たった一人馬に乗ってにわか雨の中を進んでいくと
茅葺屋根の小屋があったので、門を叩いた。
出てきた少女は蓑は貸してくれず、花を一枝差し出した。
少女は何も言わない。花は何も語らない。
英雄の心のうちは糸のように乱れた。
太田道灌:江戸城、川越城、岩槻城、越生町、日暮里の道灌山
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鎌倉公方(くぼう)
↓
補佐:関東管領(かんれい) 4家に分裂
- 山内上杉
- 犬懸(いぬがけ)上杉
- 宅間(たくま)上杉
- 扇谷上杉
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