田沼意次(おきつぐ)。重商主義への転換をはかろうとした先駆者。8月25日没

田沼意次(おきつぐ)。重商主義への転換をはかろうとした先駆者。8月25日没
田沼 意次 

・1719年9月11日 - 1788年8月25日

田沼意次は、重商主義への転換をはかります。
近代日本の先駆者です。


9代 家重(いえしげ)の小姓(こしょう)から身をおこし、
10代 家治の側用人(そばようにん)、さらに老中(ろうじゅう)に進みます。
20年間、権勢をふるいます。

商人の財力で印旛沼(いんばぬま)蝦夷地(えぞち)開拓を計画します。

ナマコやアワビの海産物の輸出奨励します。
商工業者に特権をあたえをとります。


経済を米中心から
商業中心に移そうする重商主義政策は、
保守層から大反発を受けます。


江戸時代の享保の改革、寛政の改革、天保の改革は、
いずれも重農主義でした。

保守層にとって、
重商主義は士農工商の社会階層をこわすこと
であり、
最下位の「商」を幕府が支援することは、世の秩序を乱す悪行だととらえました。
(cf. スマホ、パソコンを、「紙に戻せ」)

支配層は、田沼意次を失脚に追い込みました。

このころ,江戸の大火・浅間山の噴火津波地震などの災害がつづき,
天明の飢饉がおこって,百姓一揆や打ちこわしがはげしくなります。

意次
失脚します。




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