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浄土宗、法然、増上寺、蓮馨寺

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浄土宗、法然、増上寺、蓮馨寺 芝の増上寺 巨大な三門 黒門 三門のわきにある庫裡の表門。桃山時代の豪華さがしのばれます。 唐獅子、牡丹が浮き彫りされています。 法然上人八百年御忌(ぎょき)大会 2011年 法然共生 芝の増上寺は1393年に開山しました。 1584年には、川越・蓮馨寺(れんけいじ)の源譽存応 (げんよぞんのう、1544年 - 1620年)が第12世になりました。 1590年には、徳川家康は増上寺を菩提寺(先祖をまつる寺)にしました。 増上寺は僧侶の大学でもあったので、学寮も100以上あり、 常時3000名の僧侶が修学していました。 増上寺には、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の六人の将軍の墓所がもうけられています。 【※】寛永寺には6将軍の墓所があります。 増上寺は浄土宗の大本山 です。 知恩院は浄土宗の総本山です。 ◇                    ◆                    ◇ 平安時代の終わりごろには、貴族の間で極楽往生への願い、浄土にいる阿弥陀さまへの信仰が急上昇しました。  法然(1133-1212)は、貴族独占の仏教を大衆化 しました。 南無阿弥陀仏(ナム・アミダブツ)は、「おすがりします、阿弥陀さまに」の意味です。 これを法然は、「お願いします。救ってください」の意味に変えました。 弟子の親鸞は 「全部阿弥陀さまにおまかせします」としました。  ◇                    ◆                    ◇ 浄土宗の僧侶、信者は、他力本願ですので、長生き します。 法然は80歳、親鸞(1...

コラム:【訪日動機の第2位は日本食】

コラム:【 訪日動機の第2位は日本食 】 外国人が日本を訪れる目的の第1は、ショッピングです。 第2位はグルメです。 リピーターになればなるほど、日本食を食べたくて訪日するようです。 代表的な日本食には次があります。▲板谷博道 観光経済新聞2009/9/5 下が外国人が好きな日本食です。 味噌汁、すまし汁 寿司、刺身 すき焼き、しゃぶしゃぶ、鉄板焼き てんぷら 豆腐、精進料理 ごはん、炊き込みごはん 麺類 フルーツ 日本酒、焼酎 日本茶と和菓子

法然。仏教を庶民のものにする。Hōnen。2月29日没。

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法然。仏教を万人のものにする。Hōnen。2月29日没。 ・1133年5月20日~1212年2月29日没。京都 法然は浄土宗の開祖で浄土真宗・親鸞の師匠です。 奈良時代の仏教は、貴族だけを守るためのものでした。 法然は、誰でもが拝めば、極楽浄土に行けると説きました。 仏教を万人のものにしました。 法然のあとに、他宗も続きました。 鎌倉の新仏教  6宗 浄土宗           法然 1133-1212 浄土真宗        親鸞  1173-1262 時宗              一遍 1239-1289 日蓮宗           日蓮 1222-1282 臨済宗           栄西  1141-1215 曹洞宗           道元 1200-1253 法然が、9歳の時父が横死 します。 法然は 父の遺言で仏門に 入りました。 法然は、15歳から43歳まで 28年間、比叡山で 修行 します。 5千巻以上の一切経を5度 読みかえしました。 「 智恵の法然 」とうわさされました。 法然は、きびしい求道家でした。 内のきびしさを 温和と寛容の風貌 に包んでいました。 平安末期は、 保元の乱(1156)、平治の乱(1159) など、 相次ぐ天変地異で歴史の大きな転換期でした。 1175年、 法然は浄土宗を 開きます。 かつて、 仏教は、国家宗教 で、 僧侶は国家公務員 でした。 僧侶の役目は、 国家、貴族だけを守ること でした。 裕福な貴族たちは、仏像をつくり、寺を建立しました。 貴族だけが浄土に 行くことができました。 それを、法然は、貴族でなくとも、 誰でも「 南無阿弥陀仏をとなえれば、極楽往生できる 」 としました。 わかりやすい教えは武士や庶民に広く受けいれられました。 【※】「南無阿弥陀仏」 南無とは「おすがり...