Yoshida Shigeru。吉田茂。戦後日本政治の立役者。10月20日没
・1878年9月22日 ~1967年10月20日。満89歳没
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英文まとめ
Yoshida Shigeru was an important prime minister of Japan after World War II.
He worked as a diplomat for many years before he became prime minister.
He spoke English very well and understood Western culture deeply.
He led Japan during a very difficult time right after the war.
In 1951, he signed the San Francisco Peace Treaty to bring peace back to Japan.
He also signed the Japan-U.S. Security Treaty to protect the country.
Thanks to these treaties, Japan regained its independence in 1952.
He focused on rebuilding Japan’s economy instead of spending a lot of money on the military.
People often called him the "One-Man" Prime Minister because he had strong leadership.
He is remembered as one of the most important leaders who rebuilt modern Japan.
和文まとめ
吉田茂は、第二次世界大戦後の日本において大変重要な首相でした。
首相になる前は、長年にわたり外交官として活躍していました。
英語がとても堪能で、欧米の文化や考え方を深く理解していました。
敗戦直後の非常に困難な時期に、リーダーとして日本を導きました。
1951年、日本に平和と国際関係を取り戻すため「サンフランシスコ平和条約」に調印しました。
同時に、国の安全を守るため「日米安全保障条約」にも調印しました。
これらの条約によって、日本は1952年に主権を回復(独立)しました。
軍備に大きなお金をかけるのではなく、日本の経済復興を最優先に進めました。
強い指導力を持っていたことから、人々から「ワンマン宰相」とも呼ばれました。
現代の日本を再建した、最も重要な指導者のひとりとして今も記憶されています。
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吉田茂は、高知県出身です。
外務省では20年間の多くを
中国大陸で過ごしました。
イギリス駐在大使をつとめた「反共 親英米派」でした。
1946年から、約7年にわたって政権を担当しました。
サンフランシスコ平和条約を調印し、
「軽武装・経済重視」路線で、
敗戦の焼け野原から
日本を上手に
離陸させました。
吉田「学校」には、佐藤栄作、池田勇人、田中角栄がいます。
保守本流を形成します。
【※】「軽武装・経済重視」路線
自民党内のリベラル派
池田勇人が佐藤栄作とたもとを分かって旗揚げしたのが始まり
戦後政治の2代巨人は吉田茂、岸信介です。
吉田茂の先祖に、大久保利通が祖先にいます。
文藝評論家の吉田健一は長男です。
寬仁親王妃 信子は孫です。
麻生太郎は吉田茂の孫です。
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| 親密なマッカーサーと |
【曲学阿世の徒 南原繁】
ソ連や中国を除く国々との単独講和を進める吉田政権に対し、
東京大学総長 南原繁がこれらの政府を含めた全面講和を主張しました。
激怒した吉田は、
「これは国際問題を知らぬ曲学阿世(きょくがく あせい)の徒」と
南原を批判しました。
吉田が正しかったようです。

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