投稿

浅草寺(せんそうじ)も鬼門封じに 

イメージ
浅草寺  /src http://www.senso-ji.jp/ 浅草寺も鬼門の位置に 浅草寺は「せんそうじ」と読みます。 お寺の名前は音読みで読むのが普通です。 熊谷(くまがや)の熊谷寺は「ゆうこくじ」となります。 浅草寺は徳川幕府の祈願寺です。 家康が祈願寺に定めました。 祈願寺(きがんじ) とは、一族の繁栄や無事をお願いするお寺です。 徳川家の厚遇により浅草寺は一段と発展しました。 浅草寺を祈願寺にしたのは、江戸城の鬼門封じになるとの天海の進言によるものです。 浅草寺 浅草寺は、家康以前にも武将たちの信仰を集めていました。 源頼朝、北条政子、足利尊氏なども参詣(さんけい)し寄進しました。 浅草寺史略年表 江戸には江戸三十三観音札所があり、その一番札所が浅草寺(せんそうじ)です。 江戸三十三観音巡礼とは、霊験ある33の寺院を巡る旅です。 江戸三十三観音札所 ・・・・・・・・・・・ 浅草大百科 浅草観光.com

伊勢神宮ー三輪山、東西の道#3

イメージ
三輪山(みわやま)は、 縄文時代から信仰されていました。万葉集でも「神の鎮座する山」とよまれています。 山麓地帯にはいくつかの大きな古墳があります。 2代の天皇の墓所(=御陵、ごりょう)もあります。 三輪山 【画像】 伊勢神宮は、三輪山と東西の道を結ぶ位置に設定されたと考えられます。 神は伊勢の沖から現れ、三輪山の頭上に輝き、淡路で沈むという構図です。 「伊勢神宮ー三輪山」と「三輪山ー伊勢久留麻(いせくるま)神社」は等距離にあります。 磯(いそ、海の波打ち際)が、転化して「伊勢」「五十鈴川」となりました。 淡路島の伊勢久留麻神社は、西のお伊勢さんとよばれています。 伊勢久留麻神社 【画像】 ---------- 室生寺、長谷寺も北緯34度32分にあり、この緯度は太陽信仰の拠点となっています。

諏訪のタケミナカタは、鹿島のタケミカヅチに敗れる

イメージ
タケミナカタとタケミカヅチの相撲(※1 ) 日の昇る東にある鹿島神宮と 日が沈む諏訪大社は、 東西の道で結ばれています。 鹿島は、大和政権の東国進出の際の拠点でした。 鹿島神宮の祭神は、 タケミカヅチ(建御雷神) です。 タケは勇ましいという意味です。 いくさの神、刀剣の神です。 「ミカヅチ」とは、雷のことです。 雷は古くは「いかずち」 といいました。 タケミカヅチ(建御雷)は、 オオクニヌシ(大国主)の息子のタケミナカタ(建御名方)に 国を譲れと迫り、戦いで勝ちました。 これにより、オオクニヌシ(大国主)は、 現世の神から幽界の神となり、 人の運命をつかさどるようになりました。 出雲大社はいまも縁結びで有名です。 敗れたタケミナカタ(建御名方)は 諏訪に引きこもり、 そこから出ないことを条件に許されました。 諏訪大社には敗者のタケミナカタ(建御名方)がまつられています。 この 二人の戦いが相撲の起源 とされています。 【まとめ】 鹿島神宮:タケミカヅチ(建御雷) 勝者 諏訪大社:タケミナカタ(建御名方) 敗者 ◇                    ◆                    ◇ 中臣鎌足(なかとみのかまたり=藤原鎌足 、614-669))は 鹿島生まれです。 中臣鎌足は、 天智天皇に協力し、645年大化の改新 を実現しました。 平城京に 春日大社が作られると、鹿島の神を 迎えました。 「鹿島立ち(かしまだち)」とは、 奈良時代この地から九州の防備におもむいた防人(さきもり)が 道中の無事を祈ったことに由来します。 いまでは「旅立ち」をあらわします。 鹿島神宮の本殿と 諏訪大社の上社(かみしゃ)の守屋山の山頂とが同緯度です。 守屋山は、諏訪大社のご神体そのものです。 埼玉県下には諏訪神社が80 もあります。 秩父地域に多く 見られます。 諏訪地域からの治水工事 のために ...