#5 源頼朝を支え続けた比企尼(ひきのあま)のネットワーク <ザックリ!鎌倉時代pg
#5 源頼朝を支え続けた比企尼(ひきのあま)のネットワーク ・【 比企尼の 長女の夫は安達盛長 】 ・【 比企尼の次女の夫は 河越重頼 】 ・【 比企尼の三女の夫は 伊東祐清 】 ・【 比企能員(よしかず)は 比企尼の養子 】 ・【島津忠久は、源頼朝と比企尼の長女の子】 川越、比企の女傑は、乳母(めのと)の 比企尼(ひきのあま)と春日局(かすがのつぼね)です。 昔の乳母は、母以上にやさしく、強く、また財力もありました。 源頼朝は、池禅尼や上西門院、乳母である比企尼のように多くの女性に救われて生き延びた人物のようです。 本稿では、比企尼(ひきのあま)のネットワークをとりあげます。 【比企尼(ひきのあま)】 比企尼(ひきのあま)は、夫が源義朝(源頼朝の父)の御家人でした。 夫婦で京で源頼朝の父母代わりになりました。 頼朝が伊豆に配流になったとき、比企郡を拝領し、下向しました。 比企地方は鉄道馬米が算出し豊かだった。比企一族は良質な家風であり財力もありました。 源頼朝が33歳で平家打倒の旗揚げまで20年間を支えました。 比企尼(ひきのあま)は、3女を設けます。男子には恵まれず、兄弟の子・比企能員(ひき よしかず) を養子にします。 【 安達盛長は比企尼の長女(丹後の局)の夫 】 長女(丹後の局)の夫は、安達盛長です。 安達盛長は、流人(るにん)の頼朝にずっと従ってきました。疑り深い頼朝が生涯頼りとした心の友です。安達盛長は、京に知人が多く京都の情勢を頼朝に伝えるパイプ役でした。 後に頼朝は、私用で安達盛長の屋敷をしばしば訪れました。 1180年8月の頼朝挙兵のときは、関東武士団の取りまとめに活躍しました。 石橋山の合戦では、頼朝と安房に逃れ、下総(しもうさ)の大豪族 千葉常胤(ちばのつねたね)また上総(かずさ)の上総広常(かずさひろつね)を味方に引き入れました。 安達盛長は頼朝と北条政子の間を取り持ったと言われています。 頼朝が亡くなると安達盛長は出家しました。 頼朝の嫡男(ちゃくなん) 源頼家が2代将軍となると、13人の合議制の1人となり幕府の政治に参加しました。 秋に起きた梶原景時(かじわらのかげとき)の変では、梶原景時をきびしく弾劾(だんがい)しました。 【 河越重頼は 比企尼の...