邪馬台国のヒミコは、魏と組んで呉をハサミうちに
邪馬台国のヒミコは、魏と組んで呉をハサミうちに ヒミコ 【*】卑弥呼は「日ノ御子」 中国は外国地名に悪字を入れるクセがあります。 ヒミコは、「日の御子」が正しいはずです。 邪馬台国も「ヤマト国」との説も。 中国は、紀元前から 外交、広報、戦争は手慣れたものです。 有史以来異民族に支配され、ケンカばかりしているからです。 遠交近攻(えんこう きんこう)とは、 「遠きと交わり、近きを攻(せ)む」とのことで、 近くの国を両者ではさみうちにして、 攻め滅ぼそうとする戦略です。 (Befriend a distant state and strike a neighboring state.) 『三国志』のなかの『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』では、 日本は「遠交」の相手として重んじられて います。 「近攻」の呉をはさみうちにする ためです。 239年ヒミコは、巍に使者を送り、歓待されました。 海の苦手な魏は、 海の呉を攻めるのに、 海に囲まれた邪馬台国が必要でした。 さらに巍は、呉をうつために クシャーナ朝(大月氏、イラン系)と結びます。 中国では古来より三スクミ、多国間外交は常道です。 魏は王号の金印を、 邪馬台国とクシャーナ朝 のみに授けます。 金の印鑑は、王号である破格の扱いを示します。 邪馬台国を考えるときにも、 アジア大陸の情勢、対外要因を 視野に入れる必要があります。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 奈良県桜井市にある 箸墓古墳( はしはかこふん)を ヒミコの墓 とする説がある