2013/07/28

荻野吟子。熊谷市出身の女医第1号。Ogino Ginko. 6月23日没

荻野吟子。熊谷市出身の女医第1号。Ogino Ginko. 6月23日没
荻野吟子 /  熊谷市
女医が認められていなかった頃なので、男性と同じ髪型


・1851年3月3日。熊谷市
1913年6月23日没。東京都

荻野吟子 没後100年。 2013年。With Youさいたま
荻野吟子 図書。With You さいたま。
荻野吟子(おぎのぎんこ、1851- 1913、62歳)は、現在の熊谷市に生まれました。
「荻野家に天才少女あり」といわれたほどの才媛でした。

夫からうつされた難病を男性医師に婦人科治療されたことから、女性医師の必要性を痛感し、医師になることを決意します。

2年で離婚します。

当時は女性は医師になれませんでした。

漢方医学の塾で学びました。
現・お茶の水女子大学を主席で卒業します。
さらに医学校で学びました。

しかし、女性のために、医業の願書は受け付けてもらえませんでした。
海外へ行くしかない所まで追い詰められます。

1885年、規則が改正され、東京の湯島に産婦人科医院を開業することができました。

34歳にして、近代日本初の公許女医となります。
吟子のことは新聞や雑誌で「女医第一号」として大きく扱われます。


埼玉県三大偉人の一人です。

女性の地位向上にも努めました。



【名言】

「人と同じような生活や心を求めて、
 人々と違うことを成し遂げられるわけはない。
これでいいのだ。」

女性への偏見や蔑視から女医への道は遠く、私立医学校に男装で授業を受けました。
医師への国家試験すらも認められませんでした。
直訴して、33歳にして受験が許され合格しました。



熊谷市立荻野吟子記念館
荻野吟子 動画も。 熊谷デジタルミュージアム

荻野吟子の生涯 【9+】

荻野吟子賞 受賞者一覧 


【追記】

「地元では小学生の授業にも頻繁に登場し、給食には吟子汁というメニューもあって、いつも身近に「荻野吟子」ですね。
熊谷市出身の芥川賞作家、青山七重さんの小説にも同姓同名の女性が登場するほど地元では愛されています」
(M淳子)