2021/08/04

藤原清衡(ふじわら の きよひら)。奥州藤原氏の祖。東北の中心、平泉文化で栄華をほこる。8月10日没

藤原清衡(ふじわら の きよひら)。奥州藤原氏の祖。東北の中心、平泉文化で栄華をほこる。8月10日没
藤原清衡(ふじわら の きよひら)

・1056年。岩手県 北上市~1128年8月10日没。73歳。

 藤原清衡(ふじわら の きよひら)は、平安後期の武将です。
奥州藤原氏4代100年の金色(こんじき)文化を築きました。
奈良や京都が中国モデルの都市づくりであったのに対し、
日本独自の都市づくりを進めました。

鎌倉幕府も江戸幕府も、平泉をモデルにして城下町を建設しました。
中尊寺を創建しました。


世界遺産 中尊寺   

マルコ・ポーロが『東方見聞録』の中で、
日本を黄金の国ジパングとしています。
中尊寺金色堂を伝え聞いてからです。
 中尊寺【地図】


豊かな東北は、
海を通じて多くの物産を
長崎に出していました。

長崎を通じて世界とも交易がありました。

宋からは一切経の輸入も行い
貿易にも着手していました。


三陸海岸の人々は、
情報や人的交流も活発でした。
開放的で民度も高かった
です。

三陸海岸で一揆が頻発したのは、
人々の問題意識が高かったからこそでした。


「~世界遺産・平泉から~ いわてに息づく、清衡の心。」 【+3】

※名称「前九年・後三年の合戦(←役)」

「前九年(ぜんくねん)・後三年(ごさんねん)の役」は、
中央が東北をこらしめているとのことで、
対等をあらわす「合戦」に変えつつあります。

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