ドラッカーは、1909年オーストリアの比較的裕福なインテリジェンスの高いユダヤ系の家に生まれました。
1914年第一次世界大戦が始まります。
1918年 ドイツが敗れました。
ベルサイユ条約で巨額な負債を抱えることになりました。
大インフレ、大失業の時代となりました。
更に、1929年大恐慌がおこります。
民主制をとっていたドイツは政権交代をしょっちゅう繰り返します。
議会制民主主義が機能しなくなりました。
投票率もどんどん下がって行きました。
最後には大統領が物事を決めるようになりました。
そんな中にヒットラーが選挙に選ばれて民主的に登場します。
ヒトラーは資本主義と社会主義を否定します。
軍国主義を採用し 軍需産業と公共事業で完全雇用を実現します。
貧しい人々に旅行やレクリエーションを提供します。
国民の意識を結集するために、資本主義の象徴の富裕なユダヤ人を敵視するように仕向けます。
この間知識層は、沈黙と無関心を決め込みます。
ドラッカーは21歳の時にドイツで最もリベラルな大学・フランクフルト大学の講師に選ばれました。
講師になるとドイツ国籍も得られるという特権も手にしました。
しかし、しばらくしてヒットラーのナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)がフランクフルト大学の全教員を集め、ユダヤ人教員は出ていくようにと告げました。
この告知に、有名な教員も発言せず、知己も次第にドラッカーを避けるようになりました。
こうしてドイツは全体主義に染まっていきます。
ドイツの民主主義は与えられた民主主義でした。
【※】市民革命を実現したフランスでは全体主義には走リませんでした。
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ドラッカーは、アメリカに移り、自由な社会を築く基盤を会社に求めました。
働く人たちは会社に忠誠心をもち、会社が疑似コミュニティを提供してくれました。
しかし、1980年後半には企業よりも、非営利組織に重心を移しました。
1人ひとりの人間が役割をもった自由な社会は、非営利組織が担うと考えるようになりました。
ドラッカーの予告は、次第に実現されつつあります。
アメリカで就職人気ランキングトップに、NPOが入っています。