洪水後もやっぱりタイ
輸出基地、内需も魅力に
それはずいぶん手の込んだパフォーマンスだった。8月10日、タイ中部のナワナコン工業団地。インラック首相と政府・報道関係者ら約300人が見守る中、洪水対策として新設した防水壁の「性能実験」が公開された。
もちろん実際に洪水は起こせない。コンクリート壁の囲いに水をはり、海軍が用意した船舶スクリューで水圧を高める。洪水時の状況を再現し強度を誇示した。「安心し、自信を持った」。次の洪水シーズンを目前に首相はテレビカメラに向かって強調した。
ただ日系企業の駐在員は「これで大丈夫です、と言われてもねえ」と苦笑い。わずか数十メートル四方の防水壁に設計通りの強度はあって当然。現実には工業団地の周囲20キロに張り巡らせた壁のどこかに不備があれば、水の浸入は防げないのではないか――。
タイを昨年襲った大洪水ではナワナコンなど7工業団地が連鎖的に水没、在タイの日系製造業の4分の1にあたる約450社が被災した。サプライチェーン(供給網)が寸断され、世界中に影響が及んだのは記憶に新しい。あれからもうすぐ1年。インラック首相は「昨年のような事態は起きない」と言い切るが、日系企業の幹部らはまだ一抹の不安を隠せないようだ。
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なおリスクはくすぶるが、それでも日本企業はタイから離れない。東芝やカシオ計算機のように洪水の少ない東部地域へ工場を移転する動きはあっても、同国から脱出する動きはまれ。日本勢の新規投資はむしろ勢いを増し、1~6月の投資申請額は前年同期比2.4倍の1763億バーツ(約4400億円)に達した。
なぜタイか。日本企業のタイ進出は1985年のプラザ合意後の円高を背景に本格化したが、「同じ仏教国で政情が安定、さらにアジアのへそに位置する立地というぐらいの多分に情緒的な理由だった」と進出支援にかかわった金融関係者は振り返る。
それだけなら後々周辺国に取って代わられたかもしれない。実際、一昨年のバンコク騒乱では政情安定という売り物にもミソがついた。タイの位置づけが日本の製造業の「世界の工場」として確固たるものになったきっかけは、97年のアジア通貨危機にある。
危機の震源地でもあったタイ経済の大混乱で韓国勢らが次々撤退するなか、踏みとどまった日本勢は工場の稼働率向上へ輸出基地化を急いだ。ホンダは豪州に「シビック」を売り込むため、ナンバープレートの留めビスの位置など130カ所近くを手直しした。各社が移管・集約した1トンピックアップトラックは今や新興国戦略車として世界中で引っ張りだこだが、それはケガの功名と言っていい。
同時に経営の「日本仕様化」も進んだ。地元企業の資金繰りが悪化したため、政府はなし崩し的に外資規制を緩和。日本企業は現地合弁への出資比率を高め「生産・販売は日本、人事・経理はタイ」というそれまでの慣行に切り込んだ。日本流の人材育成やコスト管理の浸透でモノづくりの実力も向上。56秒に1台を生産するトヨタ自動車のサムロン工場(サムトプラカーン県)は堤工場(愛知県豊田市)に匹敵し、世界に約50ある同社の完成車工場で最速だ。
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そして危機から15年。今では輸出だけに頼る必要はない。タイ新車販売は今年100万台超えが確実。中間層の購買力を当て込み外食など非製造業も続々と上陸する。三井物産の山内卓アジア・大洋州本部長は「カンボジア、ミャンマーの周辺国需要も取り込んだ瞬間、タイの成長は新たな段階に入る」とみる。
歴史的な円高や東日本大震災を背景に、日本企業の海外進出が再び加速している。道路や港湾など充実したインフラ、集積する裾野産業、対日感情や体感治安の良さ、そしてインドネシアやベトナムで頻発する労働争議……。タイの存在感はさらに高まっているようにみえる。
(バンコク=高橋徹)