(私の履歴書)桂三枝(25) 「皆がお客様」 芸能界にこもらず交流 一般人の出演者にも謙虚に
- 2012/5/26付
- 日本経済新聞 朝刊
- 1274文字
「この道に入った以上、自分以外はみなお客さん。たとえ元同級生でもぞんざいな口をきくな」
師匠の桂小文枝にこうたしなめられたことがある。修業時代、師匠の後に付いて、大阪・梅田かいわいを歩いていたときのことだ。大学の落研仲間と鉢合わせ。気心の知れた者同士でもあり、つい「俺、お前」の友達感覚で近況を報告し合った。それを聞きとがめていた師匠が夕食時に指摘したのだ。
いわゆる芸能の道の教えだろう。だがそれが繰り返し胸にこだまするうち、ずしりと重みがのしかかってきた。親しかった落研仲間とさえ縁を切らなければならないような、もはや異なる世界に住んでいるのか。とんでもない道を選んでしまった――。
しかし師匠の教えは「芸人の世界に閉じこもれ」というのではなく、むしろお客様となりうる人を大切にしろというメッセージだった。師匠自身「悪口になってしまうのが嫌で」と同業者と飲むのを後年は控えていた。
同業者で群れた方が、たしかに居心地がいい部分もある。同質の悩みを語り合えるし周囲も一種、特別扱いしてくれる。しかし私は外の世界との接触を絞るのが性に合わなかった。
むしろ進んで幅広い業種の人と接した。こんなところにも「芸人らしくない」といわれる一因があるのかもしれない。落研仲間や後輩は大事な情報源で、今も一緒に居酒屋に繰り出すことがある。社会のあちこちで活躍している仲間がいろんな方を紹介してくれる。見聞が広まり、創作落語をひねり出すヒントになる。
人材派遣のパソナグループを創業した南部靖之さんは、まるで平成の坂本竜馬だ。関西大学出身で私の後輩だが、機略に富み、政官界、実業界に顔が広いだけでなく、芸術界、宗教界にも人脈がある。いつも予想もつかない取り合わせで人と人を紹介し、面白いことをたくらんでいる。
建築家の安藤忠雄さんとは40年のお付き合い。柔軟な発想と直感を大切にする方だ。世界を舞台に活躍し、一時は東大の大学院で教授までなさったが、生まれ育った大阪を離れようとしない点で、私とウマが合う。機を見るに敏なところは、元ボクサーであったためか。
文化庁長官だった河合隼雄さんは、ギャグを連発しては相手の心を解かす人たらしで、上方落語の発展に大変なご尽力をいただいた。
このほか書家の紫舟さん、経済学者の竹中平蔵さん、作詞家の秋元康さん……。挙げればきりがないが、いずれも個性的な方々でいろいろと教えられた。
市井の笑いを扱う大衆芸能の演者が、生活者の日常感覚から遠ざかってはまずい。テレビ番組「新婚さんいらっしゃい!」では、一貫して出演カップルに謙虚に接することを心掛けてきた。一般視聴者を主役に据える番組では、司会がつい下品に走ったり、出演者を傷つけたりするギャグを言いがちだ。笑いをとろうと前のめりになると、タレントとして嫌われるのも早い。
落語家は一生涯が人間修養の場。応援してくれるファンをどれだけ増やせるか、最終的には本人の人間性が左右する。お客様に「嫌なヤツ」と思われたら最後、いくら芸がうまくても、ひいき筋は広がらないからだ。
(落語家)