川島真:新興国の国益に個々に対応を(NK2012/8/9)

まとめ
・日本と欧米との立場は異なることを認識せよ。
・新興国は個々の事情があるので、国内状況を精査し、個別の対応を。


経済教室

無極化する世界(3)新興国の国益観見極めよ
川島真 東京大学准教授
協調・強硬路線が並立 欧米との緊密化目配りを

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<ポイント>
○新興国は既存の秩序が自国に有益かを重視
○中国は国際協調の一方で主権問題では強硬
○欧米諸国の新興国への姿勢に惑わされるな
 これまでの世界秩序に対して中国は挑戦者か、それとも擁護者か。昨今こうした問いをよく耳にする。一般的な回答は「中国など新興国には既存の国際秩序を大きく変更するだけの力はないが、先進国もまた新興国の意見や立場を配慮しながら、既存の秩序に調整を加えていかねばならない」というものだ。しかし、筆者はほかにも考慮すべき重要な点があると考える。
 まずは一般論を確認しよう。確かに、新興国台頭の結果、主要7カ国(G7)やG8だけで世界秩序を形成することは厳しくなった。だからこそ、新興国を含んだ20カ国・地域(G20)などの場が用意されたほか、新興国グループであるBRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)での議論が、とりわけ経済金融面で注目されている。個別の問題でも、先進国グループである経済協力開発機構(OECD)諸国だけでの政府開発援助(ODA)の秩序づくりが難しくなり、中国など新たな支援提供者と対話するようになった。
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 こうした状況の下で、既存の世界秩序が今後大きく転換するとの予測が出るのも不思議ではない。欧州連合(EU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)など地域統合体のプレゼンスの高まりも踏まえ、世界は多様な主体がそれぞれ自己の秩序観を主張する「Gゼロ」の時代に突入し、世界秩序は漂流するとの見通しも示されるようになった。
 これに対し、米国の主導力は低下傾向にあるが、EUや日本など既存の秩序を重視する主体を加えれば、新興国に対して当面は優位を維持できるという見方もある。新興国はそれぞれ国内に不安定要素を抱えているうえ、各国間の関係も一枚岩とはいえない。実際、新興国自身が既存の枠組みに代わる新たな秩序観を提案し、それが世界に受け入れられたという事例はまれで、多くは既存の秩序の修正提案にとどまっている。
 新興国の修正提案にどう応じるのかについては見解が分かれるだろう。積極的に応じて修正し、新興国を既存の秩序に組み込んでいくべきだという考えがある一方で、なるべく厳しい姿勢で臨み、従わせていくべきだという考えもある。現実には、安全保障の領域ではハードなアプローチになっても、経済面では一定の協調が図られるように、案件ごとにその都度考慮すべき条件や新興国側の姿勢に応じて判断されるべきであろう。
 だが、筆者はこうした一般的な問題設定は現実の課題を見えにくくする面があると考える。ここでは2点挙げたい。
 第一に、新興国自身が対外政策について「既存の秩序への挑戦者か、擁護者もしくは修正者か」との問いを設定しているわけではないということだ。それは、今年3月5日の中国の第11期全国人民代表大会における温家宝首相の政府活動報告でもみて取れる。
 温首相は外交政策について平和的な発展を強調し、多角的な国際業務やグローバルガバナンス(統治)に積極的に参加し、国際秩序が公正で理にかなった方向に発展するよう仕向けていくと指摘した。経済金融面での国際ルールづくりへの関与も強調した。実際、中国は国際機関の幹部に自国民あるいは中国系の人物を送り込むことに熱心だし、規範形成にも関与している。
 一方で、強固な国防と強大な軍隊こそが国家の主権や安全と利益の発展擁護の強力な後ろ盾となることや、海洋発展戦略を制定・実施することも提唱している。協調路線と強硬路線の並立は、一見矛盾しているようにもみえる。
 だが新興国にとって重要なのは、既存の秩序が「誰の、誰による、誰のための秩序か」「自国にとって有利なものか否か」という問いだ。既存の秩序が自国に不利ならば、先進国とは異なる価値があることを主張して、独自の路線をとるか、ほかの新興国と協調して自国に有利な環境をつくり出そうとするであろう。BRICSが経済金融面でとる姿勢がそれである。それと同時に、先進国起源の秩序であっても、枠内にいることが自国に不利でなければ、その秩序の擁護者として振る舞うことは十分にあり得る。核不拡散体制などがそれに当たる。
 新興国、特に中国の場合、国内政策とのバランスはもちろん、自らの国益や国威発揚にかなうか否かで、個別に対外政策を判断している。このように、先進国からみた「既存の秩序に従うか否か」という問題も、新興国からは異なった問題群とみられていることに留意すべきだ。新興国にとっては国益観に基づく一貫した行動も、先進国からは矛盾したものにみえることがある。ある分野における新興国の既存の秩序への協調が、そのほかの分野での協調を促すとは限らない。

 第二の問題は、新興国が既存の世界秩序に対して挑戦者になるか否かという問いを考える際に、グローバルな空間を想定するあまり、新興国とその周辺地域における秩序の問題を見落とす可能性があることだ。中国を事例にとれば分かりやすい。欧米先進国のように中国の周辺に位置しない国々は、中国との間に領土問題やナショナリズムにまつわる問題について、(移民の問題を除き)一義的に考慮する必要はない。そのため中国が既存の秩序の挑戦者とならなければ、多様な協力・協調をする可能性に満ちている。
 しかし、グローバルな場ではたとえ中国が一定の分野で既存の秩序に協調的になったとしても、それが周辺諸国との間の主権を巡る問題のハードルを下げるわけではない。
 中国は「(経済)発展」を外交政策の最大目標に掲げていたが、2006年に「主権と安全」を目標に加えた。トウ小平氏以来の発展重視の外交政策の基調も変容し、主に海洋で周辺国と問題を引き起こしてきた。一方で、同じ時期には米中関係を含め、先進国と中国の協調関係が深まった。米中が世界秩序を主導するというオバマ大統領の「G2論」だけでなく、ODAの分野でOECDの開発援助委員会(DAC)と中国の対話が進んだのもこの時期のことだ。
 すなわち、新興国が既存の世界秩序の挑戦者にならないということは、周辺国との主権を巡る問題で融和的であることを必ずしも意味しない。ロシアは別として中国やインドの周辺に位置していないため、新興国との協調が比較的容易な欧米先進国と、日本を含む中国やインドの周辺国とは立場が異なるのである。
 以上のように、新興国と世界秩序の関係性をみるに当たっては、多角的な観点からの考察が求められる。先進国である日本が既存の秩序の維持に注意を払うのは当然だ。だが日本と欧米諸国の立場は異なる面もあり、新興国が既存の秩序に挑戦しないことで直ちに満足したり、米国などの先進国が新興国に厳しい姿勢をとるのをみて単純に安心したりするのは問題があろう。
 前述のように、事態は単純ではない。日本のように新興国の代表である中国の隣国である場合はなおさら、それぞれの新興国の国内状況や個々の分野での立場や姿勢を見極め、自らの国益を明確にしたうえで対応すべきだろう。その際、新興国の動きが個々の分野で異なることについて、一貫性の有無を問題にするより、新興国の国益観からすれば、それが「合理的」とされていることに留意して、日本としての国益の確保と既存の秩序の安定を促すべきである。
 欧米諸国と新興諸国間の関係は急速に変容し、実質的な関係の厚みは増している面がある。日本としても単純な認識を避け、自らの座標軸を見極めながら、新興国との関係の厚みを増しつつ、様々な事態に対応せねばならない。
 かわしま・しん 68年生まれ。東京大博士(文学)。専門はアジア政治外交史