(NK2012/8/7)
(1)国際秩序、「脱日米欧」一段と
熊本県立大学理事長・前防衛大学校長 五百旗頭真
経済調整能力が低下 日本は自力で問題解決を
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<ポイント>
○冷戦終結は米欧日3極体制強化もたらさず
○国際機関は想定以上の重大事態に対処困難
○日本は財政とエネルギー対応が将来を左右
○冷戦終結は米欧日3極体制強化もたらさず
○国際機関は想定以上の重大事態に対処困難
○日本は財政とエネルギー対応が将来を左右
冷戦が終わって二十余年、世界は何と変わったことか。
米国とソ連の2超大国が対抗しながら世界秩序を担った時代は、遠い昔となった。ソ連は東欧の共産諸国とともに自壊し、自由民主主義と市場経済の国をめざして再出発した。今やロシアは、中国・インド・ブラジルとともに国土広大にして資源豊かな新興大国(G4)の一つと目される。
一方、冷戦後米国には、自由民主主義と市場経済を広める使命感と同時に、世界を支える重負担から解放されて、平和の配当を楽しみたいという機運もあった。湾岸戦争でサダム・フセインのイラクを懲らした共和党のブッシュ(父)政権は、世界秩序の担い手として行動した。米国の繁栄と平和を優先した民主党のクリントン政権は、IT(情報技術)革命の成功で世界経済の主導権を奪回し、経済と軍事の双方で圧倒的な立場を築いた。
その結果、1990年代には米国の単極だとの議論も強まった。一方で、民族紛争や宗教紛争がやまない90年代を「無秩序」と断ずる者、逆に緩やかな国際協調システムの存在を強調する者、「多極」を展望する者、「一超多強」とくくる者など、冷戦後の世界に対する見方は多様化した。ハンチントン教授のように、中国文明とイスラム文明が結託して西洋文明に反逆するシナリオを中心に「文明の衝突」を予言する論もあった。
21世紀の幕開けに突発した「9・11」テロが歴史の流れを変えた。ブッシュ・ジュニアの共和党政権内では武断派のネオコンが優勢となり、アフガニスタンのタリバン政権を打倒しただけでなく、欧州諸国の反対を押して対イラク戦の勝利に突き進んだ。だがイラク統治に苦しみ、傷ついた超大国となった。米国単極論は後退し、中国やインドなどアジアの台頭に取って代わられるとの予想が広がった。
オバマ民主党政権は傷を癒やす役割を担うが、リーマン・ショックなど経済変調もあり、大幅な軍備縮小を余儀なくされている。逆に経済的な存在感を増し、急速な軍事力拡大を続ける中国との間で、どのような関係を構築するかが、21世紀の世界史にとって焦点となりつつある。
9・11テロの後、中国はテロとの戦いで米国に協力する道を選んだ。米国のイラク戦争に対し、中国は仏独ロのようにあからさまに反対せず、その直後米国の要請に従って北朝鮮に対する国際会議のホスト役を務め、東アジアの中心国に浮上した。
冷戦期の国際政治は2極体制であったが、国際経済からみれば、米欧日の3極体制(もしくは主要7カ国=G7=体制)により調整される市場経済であった。トウ小平氏の「改革開放」により、共産国の中国が市場経済に加わった。
冷戦終結は市場経済の勝利を意味したが、3極体制の強化をもたらさなかった。共通の敵の存在が失われると米欧日協調の焦点もぼやけた。冷戦後の国際経済においては、欧州統合や北米自由貿易協定(NAFTA)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)のような経済の地域主義化も進行した。例えば97年の東アジア経済危機に対して、グローバルな観点から3極サミットが力強い対処をすることはなかった。
無理からぬところともいえよう。冷戦終結時に、米欧日は世界の国内総生産(GDP)の約7割を占めていた(図参照)。その後二十余年、アジア諸国などの経済大躍進により、G7諸国の比重は下がり、国際経済をリードする力量を低下させた。20カ国・地域(G20)が招集されるゆえんだ。
では、新興国を加えたG20ならば国際経済を管理もしくは調整できるのか。一般に構成員の数が増えるほど合意は難しくなる。中国やインドは大躍進を遂げたが、国内に課題が山積しており、世界秩序を支える用意は十分ではない。各国は自己主張するのに忙しく、特に新興国は国際秩序のために妥協することや不利益を避けようとする。
リーマン・ショック後、中国が大胆な内需振興により、自国の高成長を維持するとともに、国際経済を下支えしたのは立派であった。だが、今や中国をはじめアジア諸国も成長鈍化の局面を迎えている。
世界には世界貿易機関(WTO)、国際通貨基金(IMF)、世界銀行など国際経済システムを支える機関が存在する。それらが想定する以上の危機や重大事態が突発するとき、対処すべきは関係各国以外にない。G7が後退し、G20が責任感を身につけない状況では、効果的な対処は困難を極めるであろう。
ギリシャは小さな経済であり、欧州連合(EU)という国際的ケアの最も手厚い欧州に属する。それでもギリシャ危機の国際インパクトはかくも大きかった。日本はその教訓をかみしめてしかるべきだ。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を誇った80年代の後、「失われた20年」を経て、今日の日本の国際競争力は著しく低下した。日本社会はどの地方も豊かで美しく、国際的な調査でも日本への好感度は(中国と韓国以外では)トップクラスだ。少子高齢化が進む中で、一定の生活水準と文化水準を維持すれば、国際競争力がトップクラスでなくとも、内向きであっても、ゆったりすればよいではないか。そう考える人も少なくあるまい。だが競争が現実である国際経済の中で、それからのリタイアと厳しい努力の停止がとめどない転落への危険を宿していることを知るべきだ。
以下では、経済面の安全保障について述べたい。問題は2つある。一つは、国家財政と金融の破綻である。要するに、日本のギリシャ化の危険である。ギリシャの国家財政赤字がGDP比140%であるのに対し、日本は200%を超える。今のところ高水準の民間貯蓄ゆえに国際投機筋の餌食にならずに済んでいるが、もし毎年40兆円もの赤字国債を積み上げれば、10年以内に間違いなく破綻を招くであろう。ギリシャと異なり、世界第3位の経済的巨人が倒れるとき、これを救済できる機関や国は存在しない。
日本は自分で立ち直るほかはないのである。その意味で、野田民主党政権と自民・公明両党が消費税率10%への引き上げに合意したことを高く評価する。十分ではないが、それができなければ日本国民は奈落に転落していただろう。
もう一つは、エネルギー問題だ。原発の恐ろしさを再認識した日本人は今、原発の原理的否定に傾斜している。中長期的には脱原発を模索することは望ましいし、再生可能エネルギーなど代替資源の開発に全力を挙げることは正しい。しかし代替案なしに原発廃棄に踏み込む国は、世界に一つも存在しない。米国はシェールオイル(岩盤層に含まれる石油)の開発にめどをつけた。脱原発を決めたドイツは欧州内の周辺国から電力供給が得られる。多くの工業発展国は今なお原発建設をエネルギー政策の柱としている。
こうした中で、エネルギー安全保障を誤れば、経済発展はおろか、国民生活の存立すら危うくなる。日本人は実感主義と感情で全否定に直進するのではなく、代替案が得られるまで、原発の安全性を高める努力に軸を置く冷静さを保つべきであろう。1941年の石油危機では日本は対米戦争に突入し、73年の石油危機で社会的パニックを起こした。原発全廃に走り、次の石油危機で逆戻りするような日本であってほしくない。
いおきべ・まこと 43年生まれ。京都大法卒、法学博士。専門は日本政治外交史