阿部 正弘。老中首座(首相)を務め、開国を決断。8月6日没

阿部 正弘。老中首座(首相)を務め、開国を決断。8月6日没
阿部 正弘

・1819年12月3日~1857年8月6日没。39歳


阿部正弘は27歳で老中(ろうじゅう。大臣)になります。

11代 家斉(いえなり)の莫大な浪費を、表沙汰にせずに処理したことで、12代 家慶(いえよし)に目をかけられます。


1853年に、阿部正弘が35歳、老中首座(首相)のときペリーが来航します。

ペリーの目的は、クジラではありません。

アメリカ西海岸 → 日本 → 中国の航路をひらき、
大英帝国がにぎっていた中国市場を奪うためでした。


阿部正弘は、アヘン戦争での中国の悲惨な状況を学んでいました。


旧例を破り、
役人や大名から意見をもとめ、
「開国!」を決断
します。

日本国家の進路を、 
    「開国、富国、強兵」
に切り替えます。



岩瀬忠震(ただなり)などを幕政の要路に抜擢し、また
勝海舟、高島秋帆などの開明派を用います


阿部正弘の福山藩城  【+1】NHK   福山藩は、広島県東部



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