頭が下がるある病院長の1日(NK2012/10/24)


プロムナード頭が下がった話 山本兼一

 ライター時代、お医者さんを取材に行った。名医探訪というような雑誌の企画であった。ずっとそのシリーズを担当していたわけではなく、たまたま都合が悪くなったライターの代わりに一度きりだったが、そのときお目にかかった医師は、たいへん素晴しい方であった。
 九州の山間の小さな町にある耳鼻咽喉科の病院の院長先生である。空港が遠くて不便なところなのに、北海道からも治療を受けにくるほど人気なのだという。七十床の入院施設がある大きな個人病院だ。
 編集者から連絡があった先方の指定時刻は、午前三時である。
「なんですか、それ?」
「きっと常識のないわがままな医者なんですよ」
 編集者も納得していなかったが、とにかくその予定で動いた。前日の夕方、編集者、カメラマンとともにその町に着いて、ビジネスホテルに入った。ほんとにまったく、なんで夜中の三時に……、と三人で悪態をつきながら酒を飲んで、早い時刻にベッドに入った。
 目覚ましで夜中の二時に起きて、病院の院長室を訪ねた。
 あの当時で、八十歳近い院長であった。お話をうかがって、すぐに頭が下がった。
 院長は、毎朝、九時に病院で診療を始める。外来と入院患者の診察と治療の終わるのが夜の八時ごろ。それから院長としての病院の仕事を十時までする。
 午後十時から午前三時までの五時間は、医学研究の時間である。あのころ、まだインターネットはなかったが、パソコン通信があった。通信で医療データベースにアクセスして、最新の臨床例を調べる。あるいは、治療がしやすい特別の器具や、耳や鼻の穴を覗(のぞ)き込むときに具合のよい照明装置を自分で考案する。
 面会を求める人に会うのはそれからだ。製薬会社のMRや、わたしのような面会者は、みな真夜中の午前三時に院長室を訪れる
 朝の五時になると、院長は病院のとなりにある自宅に帰る。風呂に入り、ビールを一本飲んで食事をするのが楽しみだそうだ。
 六時に就寝九時前に起きて顔を洗い、すぐにまた診療を始める。
 そういう生活を、もう何十年も続けているのだそうだ。パソコン通信による臨床例の研究は、医学雑誌や書籍だっただろうが、ともかく、病院の一日の仕事を終えてから、最先端の医療の研究と技術開発をする。それはとても大事な仕事なので、後回しにすることなど、とても考えられないに違いない。
 お話をうかがって、わたしは正直に謝った。
「夜中の三時にとのお約束でしたので、きっとわがままな方かと思ってやってきました」
 院長先生は、鷹揚(おうよう)に笑っただけだった。そんな誤解など気にもならないらしい。
 あれこれ治療のお話をうかがい、遠方からも患者さんがやってくるのは、院長の技術力の高さにあることを知った。子どもの小さな副鼻腔(ふくびくう)にカテーテルをすんなり通す技術があるので、蓄膿症(ちくのうしょう)などの治療が的確にできるのだそうだ。
 院長のご先祖は福岡藩の御殿医で、院長で医師七代目だという。医家も七代までつづくと、こういう稀代(きたい)な人材があらわれるのかと、つくづく感じ入った。
(作家)