・制度の硬直性と組織の閉鎖性= 大学、大企業、行政
根岸英一(19) 日本の大学 硬直的な制度に落胆 何度か誘われ、結局行かず
パデュー大学の教授になって以降、日本のいくつかの大学から「戻ってきませんか」と声がかかるようになった。米国の大学では6年間勤務すると「サバティカルリーブ」という長期休暇があり、これを利用して半年ほど様子を見に行ったこともある。
しかし結局、日本の大学には行かなかった。端的にその理由を指摘すれば、制度の硬直性と組織の閉鎖性が厚い壁だったといえる。当時の日本の大学が民主的でないと感じることもあった。
こんな例があった。ある大学から米国の自宅に採用を申し込む厚い封筒が届いた。中には数十項目の規定がずらりと列記してあり、私の研究をどのように支援してくれるのかについては何も書かれていない。読んだ後「これが日本の大学だ」と正直がっかりする思いがした。
関東地方のある国立大学のときは、非公式な会合を持って先方が「うちの大学に来てもらえる」と早合点してしまった。中身をよくよく聞いてみると、研究助成費は何も付かず給料は下がる。前任の教授の下で研究していた助教授も残るという。これでは何も得るところはないと感じ、断りの連絡を入れた。
米国では契約書に目を通し署名して全てが決まる。私はそのつもりで手続きをしていて日本式の慣例を全く意識していなかった。大学側では私の返事に驚いたようで、逆に「後任探しが2年遅れた」と後々まで怒られてしまった。
米国の大学は州立であっても制度を柔軟に運用している。シラキュース大からパデュー大に戻る際、引っ越し料金が数千ドルかかり、全て個人で負担しなければいけない時があった。パデュー大の主任教授に「引っ越し代は出ないのか」と聞くと「そういう項目はないから出ない」という。臨時の出費が痛かったので、何とかならないかと相談すると「年俸を2500ドル上げよう」と連絡が返ってきた。
直接引っ越し代を賄えないが、2年たてば補填できるし、その後の収入も増えてよいアイデアだ。即座に了解した。日本だったら「規定にありません」と却下され、それでおしまいだろう。米国の大学は無理難題でなければ、私たちの希望を親身になって考えてくれる。
定年も研究者は自分で決められる。「ハーフタイム」といって授業の義務などを減らしてもらう宣言をする。その後5年以内に退職するという意思表示でもあるので、大学としてもその後の人事構想を立てやすくなる。
秘書ら一般の職員は国の社会保障制度が受けられる61歳でだいたい退職する。しかしばりばり研究したい人にとって61歳の定年はまだ早い。
私は多くの優れた研究者の活動を見てきた経験から「長く続けても80歳まで」と考えていた。それで75歳になる2010年からハーフタイムに入る宣言をし、こうして日米を中心に世界を駆け巡る生活を送っている。
米国の大学は研究と教育の水準の維持向上に多くの労力をかける。制度の硬直性と組織の閉鎖性、舞台から去らなければいけない。日本の国立大学は04年に独立法人化し、以前と比べ柔軟な経営ができるようになったが、米国の大学に比べるとまだまだ差は大きい。これからの改善点だろう。
(有機化学者)
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