2012/10/22

米の教育には勉強させる多様な仕掛けが(NK2012/10/22)


勉強させる教育改革を
鈴木典比古 大学基準協会専務理事(前国際基督教大学長)
予習できるシラバス・教員評価を厳しく

 日本の大学生が勉強していないという批判が絶えない。大学基準協会の鈴木典比古専務理事は、その責任を学生にばかり帰すのはフェアではないとして大学教員の責任を指摘、授業マネジメント力の必要性を強調している。
 この夏、大学改革を巡っていくつかの重要な見解が公表された。6月には平野博文文部科学相(当時)の「社会の期待に応える教育改革の推進」と、文部科学省の「大学改革実行プラン」が公表され、8月には中央教育審議会が「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて」と題する答申を出した。
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 共通するのは、日本の大学生の学修時間は欧米より非常に少なく、実質学修時間を増やす必要があるとの指摘である。米国で10年、日本で26年、大学で教えた経験からも、指摘は事実だと認めざるを得ない。ただこれには学修・生活環境の違いに帰せられる面もある。日本の大学生が勉強しない背景を考えたい。
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 最初に思い浮かぶのは大学の立地環境の違いである。米国では、多くの大学が都会を離れた閑静な田舎に立地し、大学町を形成する。特に州立大学やリベラルアーツ系の小規模私立大学はそうである。キャンパスは授業施設、奨学金、図書館、学生寮、体育・文化・医療施設等が充実し、学生生活はキャンパス内で完結する。学期中や平日は勉強以外、することがない。その代わり週末はスポーツやパーティーなどを十分楽しむ。
 日本はどうか。大学は大都市に集中し、十分な学生寮もない。学生はアパート暮らしか長時間かかる自宅通学で、学費や生活費のためにアルバイトを余儀なくされる。大学生活の目的や勉学の動機を持ちにくい。
 日本では大学間移動の制度がないので、学生は入学した大学で4年間を過ごし卒業する。ところが米国では、学生はとりあえず自分のレベルに合った大学(例えばコミュニティーカレッジ)に入学し、そこで優秀な成績を修めれば、前の大学の履修単位を認められたまま、より自分に合った大学や高いランクの大学に編入できる。自由に大学を移る“大学間渡り鳥”の仕組みが、勉学の動機付けになっている。
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 授業の工夫でも見習うべき点が多い。日本でも教員が事前に授業内容を知らせるシラバス(授業工程表)の配布が義務化された。だが多くの場合、学生が予習・復習ができるような要件を欠いている。例えば、「参考文献は授業中に指示」という記述をよく見るが、これでは学生が十分な予習をして授業に臨めるはずもなく、教員と学生が議論する双方向型授業は不可能だ。米国の授業が活発なのは、教員が「予習できるシラバス」を配布しているからである。
 米国では全科目に通常3ケタの番号(100~400番台)が付き、初年次から卒業年次までに履修する科目群が順序立てて体系化されているので、学生は自分の学修段階がよくわかる。日本では番号化は普及しておらず、カリキュラムに体系性がないので学生は学びの自己確認ができない。
 日本の大規模授業は、学生の出席率は低く、成績は学期末の試験だけでつけられることが多い。米国にも大規模授業はあるが、授業は熟練した教員が行い、学生を小グループに分けたグループディスカッション制も併用する。ディスカッションは博士課程学生(TA)が指導し、活発な議論が展開される。TAにも教員になる良い訓練となる。
 米国の成績評価は中間試験、最終試験、小テスト、グループプロジェクト、プレゼンテーションや授業出席など、きめ細かい尺度で行う。そのため授業の出席以外に毎日3、4時間の予習が欠かせない。
 そもそも米国のリベラルアーツ系大学では、入学時点では学生の専攻は決まっていない。1、2年次に教養科目を広く履修しながら自分の専攻分野を絞り込む。この段階は選択する専攻分野と自分の適性、職業、人生をいかに関連付けるか、真剣に悩み模索する時期で、この体験を通じて学生一人ひとりが自分の個性に適した進路を決定する。多様な樹木を育てる「雑木林型教育」ともいうべき教育で、そこでは教員のアドバイザー制度が重要な役割を果たす。
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 一方の日本では、大学入試は学部ごとで、偏差値で専攻分野が決まってしまうため、専攻分野と人生を結び付けて悩む段階がない。そして4年後に文系学生は経理や人事や販売などの職種に就職し、理系学生は主に製造業分野に就職する。これは同質的な人材を輩出する、いわば「人工植林型教育」である。21世紀の大学教育は多様な人材の輩出が求められており、人工植林型から雑木林型への転換が必要だろう。
 米国には学生を勉強させる多様な仕掛けがあるのだ。日本の学生が勉強しない責任を学生にのみ帰すのはフェアではない。学生が意欲を持って勉強するような授業を行うことが教員の責任であり、それには熱意と工夫、授業マネジメント能力が必要となる。
 そこで重要なのが、教員の評価システムだ。米国では教員の昇任昇格には厳しい審査がある。そのために教員は教育研究に全力を尽くし、大学も授業法改善のクリニックなどを提供する。新任教員の多くが教育の訓練機会がないまま教壇に立ち、その後は十分な評価もなく年功序列・終身雇用的慣行で昇任昇格する日本とは大きな違いだ。
 秋入学の導入で海外からの留学生を増やそうという動きがある。だが、「勉強させない国」のままでいて、「勉強させる国」からの留学は増えるのだろうか。まずは学生にもっと勉強させる教育改革が必要である。