8代 足利義政。銀閣寺、「東山文化」を生む
8代 足利義政。銀閣寺、「東山文化」を生む
2025年7月15日 (火) 川越みがき のつどい @ ホテル三光 満席。/2026年7月21日の川越みがきをお待ちしています。
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| 8代 足利 義政 |
・ 1436年1月20日-- 1490年1月27日。54歳
配偶者: 日野富子 (1455年 - 1490年)
8代 足利義政は、政治の実権を握れず、
最悪の内乱 応仁の乱を引き起こします。
【応仁の乱】
8代 足利義政は、文化人で、
絵や茶道、庭園 文化を好みました。
そんな義政が京都の東山に山荘として作ったのが、銀閣寺です。
金閣寺と同じく世界遺産です。
銀閣から少しはなれたところにあるのが東求堂(とうぐどう)。
ここには義政の書斎があります。
特徴は、畳がしきつめられていることです。
外との仕切りには障子が立てられました。
かべには、「ちがい棚」が配置されました。床の間の原型です。
この「書院造(しょいんづくり)」は、今に受けつがれています。
銀閣が建てられたころ、日本独自の建築様式が完成しました。
| 銀閣寺 |
■ 生け花や水墨画などの文化が生まれた
書院造の部屋からは、さまざまな文化が生まれます。
床(とこ)の間をかざるために発達したのが「生け花」です。
水墨画が、「掛け軸」に用いられました。
義政の時代に、生け花や「水墨画」の文化が生まれました。
【めぼしい室町将軍】
初代の足利尊氏、
3代の足利義満、
6代の足利義教、
8代の足利義政、
最後の15代足利義昭

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