Otto von Bismarck (オットー・フォン・ビスマルク)
・1815年4月1日。プロイセン~1898年7月30日没。83歳没
プロイセン略史
1)1800年代までのドイツは、40近い国にわかれていた少国家連合国です。
2)1866年,普墺戦争(ふおうせんそう。プロイセン⇔オーストリア戦争)で、オーストリアを破ります。
3)1870年、フランスを破ります。
4)1871年、ドイツ人の統一国家を成立させます。
(【受験】 1871:「ひとはない、ビスマルク以外に」 ほぼ明治維新のころ)
(【受験】 1871:「ひとはない、ビスマルク以外に」 ほぼ明治維新のころ)
ビスマルクは、ドイツの 「信長+家康」です。
細かく別れた藩を一つにし、ドイツ帝国をつくりあげた英雄です。
プロシア首相からドイツ帝国宰相になります。
岩倉使節団は、ビスマルクに会い、感激しましす。
ドイツを模範として、近代化をすすめることにします。
*****
明治4年(1871年)から明治6年(1873年)まで2年間、107名で構成。
【ビスマルク主催の晩さん会にて】
ビスマルクが大久保らに「 イギリスで不平等条約は解消できたかい?」
日本側「国際法を知らなかったので何も改正できません。」
ビスマルク「大国はね。自国に利益がある時は国際法に従うと言うんだ。
でも、国際法に従うと不利だ、と思うと軍事力で解決しようとする」
「国際社会で、小国が主権を守るためには、
軍事力を強化する必要がある」
軍事力を強化する必要がある」
大久保利通は、ビスマルクを師と仰ぎます。
伊藤博文もあこがれ、ビスマルクを真似て葉巻をくゆらせます。
ドイツもイタリアも日本も、
同じ頃に統一しました。
ともに「遅れてきた青年」です。
そのためのちに「日独伊三国同盟」を
つくりあげることになります。
----------
ビスマルクは、貴族の家に生まれます。
ケンカ好きのワルガキですが、勉強はしました。
身長は、190センチありました。
プロイセンの首相になったとき、
「ドイツ統一の問題は、民主的な方法では、解決できない。
鉄と血によってのみ解決できるものである」としました。
「ドイツ統一の問題は、民主的な方法では、解決できない。
鉄と血によってのみ解決できるものである」としました。
鉄は武器、血は兵士、のことです。
1866年,普墺戦争(ふおうせんそう)で、オーストリアを破ります。
cf. ビスマルク、ローン、モルトケのプロイセン3羽鴉
「ドイツ統一のためには、フランスの力がじゃまだ」として、
1870年には、フランスに戦争をしかけて、パリを占領します。
----------
ビスマルクのドイツ統一の功績は、いつまでもドイツ人にたたえられています。
ビスマルクだけで、西洋史のポイントがわかります。
【ビスマルクの名言】
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」
< 先人たちが経験したこと、すなわち歴史を学ぶことで、
沢山の経験を身に着けることができる >
沢山の経験を身に着けることができる >
・・・・・・・・・・・更に詳しく
【ゆっくり解説】オットー・フォン・ビスマルク アニメ【+26】
ごちゃごちゃの当時の歴史が、数回見て理解できます
ごちゃごちゃの当時の歴史が、数回見て理解できます
0 件のコメント:
コメントを投稿