・ 1254年。イタリア・ ヴェネツィア~
1324年1月8日没。 ヴェネツィア
マルコ・ポーロが伝え聞いた黄金の国ジパングは、
岩手県・平泉の中尊寺金色堂(こんじきどう)がモデルとされます。
【※】中尊寺 公式ページ> 金色堂
当時の奥州は莫大な金を産出し、奥州藤原氏( 1087-1189)の栄華の源泉となっていました。
奥州藤原氏は宋から『一切経』7000余巻を購入するのに、砂金4トンも提供しました。
マルコ・ポーロはこのことも耳にしたのでしょう。
『東方見聞録』で日本人、中尊寺の金色堂についてのべています。
「住民は色白で、礼節正しい優雅な仏教徒である。
宮殿は屋根も床も黄金でできている。
国人はだれでも莫大な黄金を所有している。」
コロンブスが航海に乗り出しアメリカを発見したのは、マルコポーロの『東方見聞録』に触発されたからでした。
平泉の商人は、博多の中国商人と直接交易をして、平泉の栄華を支えました。
「奥州藤原氏は、仏教立国を目指し、寺院を建立して人心を戦争から平和に導こうとしました。
日本史上初めて、日本独自の都市づくりを進めました。
日本の城下町モデルの最初でした。」(摘録、入間田宣夫、NK2012/2/4)
鎌倉幕府も江戸幕府も、平泉をモデルにしてまちづくりをしました。
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奥州藤原氏は頼朝に攻められて1189年に滅びます。
松尾芭蕉は、ちょうど500年後の1689年「奥の細道」の旅にで、
平泉では金色堂を詠みました。
(しとしと降る五月雨も、光堂には、その気高さに気おされてか、おとなうことをはばかっているようです。)
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東北の先進性は、江戸時代においても、三陸海岸地域にみられます。
三陸海岸は、物産を長崎に出し、長崎を通じ世界と通じていました。
情報や人的交流も活発でした。
民度は高く、開放的で創造性も豊かでした。
一揆もたびたび起こしたのは、人々の問題意識が高かったからでした。(入間田宣夫)
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「ジャパン、ニッポンは福建語から桑原政則
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【※】【東北関連歴史用語の見直し】
奥州合戦 ← 奥州征伐、ではなく
前九年合戦← 前九年の役、ではなく
後三年合戦← 後三年の役、ではなく