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座長大会。東京大衆演劇劇場協会 |
2008年10月3日、劇団「武(たけ)る」のみなさまと夜9時半に食事を共にしました。
劇団は、昼と夜の興業があるので、夕食もおそくなります。
以下はその時のあいさつを編集したものです。
「みなさん、お疲れさまでした。
舞踊ショー、演芸を楽しく拝見しました。
毎回笑いあり、涙ありで、心身がいやされ、さっぱりします。
ありがとうございました。 (
笑いの効用 )
ところで、いままで観光や大衆演劇は単なる遊びとして低く見られていました。
遊びは人生のマイナス部分と見なされていました。
しかし、おととい2008年10月1日に観光庁が発足しました。
政府も市民も、観光や、遊びが
自分たちを、お年寄りを元気に長生きにするもとであると高い評価をあたえるようになりました。
また観光が、外国人を呼び寄せることで日本経済を救うと考えるようになりました。
観光の売り上げは、自動車産業よりも大きく、日本経済の柱になっています。
観光は偉大な輸出産業です。
外国人がこれから2000万人もくるようになります。
その人たちが、見たいのは、日本の文化、大衆演劇です。
(中略)
ここホテル三光で11月22日には、「観光振興とまちの活性化」のテーマでシンポジウムが開かれます。
シンポジウムのプログラム 挨拶来賓
武蔵観研シンポジウムのプログラム 挨拶来賓
金子善次郎 衆議院議員 厚生労働大臣政務官
舟橋功一 川越市長
伊利仁 坂戸市長
藤縄善朗 鶴ヶ島市長
関口定男 ときがわ町長
当麻よし子 所沢市長
小峰孝雄 鳩山町長
大沢幸夫 日高市長
金子憲二 川越商店街連合会会長 クレアモール理事長
益子淳一 クレアモール商店街振興組合理事長
篠原淑浩 東京大衆演劇劇場協会会長。篠原演劇企画。浅草木馬館。
釼持勝 観光情報学会理事。スノーリゾート観光情報学研究会主査。
桑原政則 NPO武蔵観研会長 東京国際大学教授
市町村の他に、NHKさいたま、テレビ埼玉、埼玉新聞などのマスコミも後援してくださいます。
県からも埼玉県観光連盟が後援です。
大衆演劇を含む観光は、脚光を浴びつつあります。
11月22日のシンポジウムでは、ここにいらっしゃる東京大衆演劇劇場協会の篠原淑浩(よしひろ)会長も役者さんの実演入りで、「大衆演劇とまちの活性化」と題してプレゼンをしてくださいます。
大衆演劇は登り坂です。
どうか、日本文化をさらに深く豊かにするためにも、楽しくはりきって、そして
夢と希望と自信をもって、
大衆演劇の道を
進んでください。」
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劇団は、毎日出し物が変わるので、食事のあと劇団員のみなさまは明日のリハーサルに入り、席があたたまる時もありません。
休みは月1回です。
出演する劇場は毎月変わります。
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篠原 淑浩 「大衆演劇とまちの活性化」
この度は、「第一回NPO武蔵観研シンポジウム」の開催、
誠におめでとうございます。
ひとえに大衆演劇と申しましても、歴史は非常に古く、現在の形を成したのが明治40年頃と聞き伝えられております。
戦後に第一次の全盛期を迎え、東京都内、近郊の劇場を合わせると50以上の施設が
あり、大変な賑わいをみせ、近隣の商店街などにも多大な消費を提供しました。
その後、経済の高度成長とともにテレビなどの大衆娯楽の多様化が進み、
昭和50年には、十条篠原演芸場が東京都内、近郊を含め唯一の劇場となりましたが、
大衆演劇とまちの活性化のため、昭和52年、浅草に木馬館大衆演芸場を開場し現在も営業を続けております。
浅草は、芸能のまちとして古くから大衆に慕われてきましたが、木馬館が開場した事で
浅草来訪の動機の提供をし、観光を含む様々な部分でまちの活性化に貢献をし、持続してきた結果、木馬館の来場者数は年間15万人を数えるに至りました。
十条篠原演芸場においては、昭和26年に開場をしてから、現在までに、北区区長をはじめとする地域住民の方々のご協力のもと、二度の新築工事を盛大に行い、大衆演劇の灯を守り続けていくことが、まちの活性化に繋り、年間8万人の来場者を迎え入れています。
現在、大衆演劇を公演しております、ホテル三光・遊湯ランドさんと蔵造りの町並みなどの観光各所や、近隣の商店街が今にも増してお互いに手を取り合うことが必要不可欠であり、川越というまちの大いなる発展のカギになるのではないかと考えています。
【※】武蔵観研は、旧称は川越奥武蔵観光情報学研究会でした。