徳川家康の10大事件
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徳川家康 |
・1543年1月31日, 岡崎市- 1616年6月1日, 静岡市 。73歳
徳川家康の10大事件
- 1560 (19歳)桶狭間の戦い 今川義元 戦死 家康、岡崎城にて自立
- 1570 (29歳) 姉川の戦い 織田信長と共に浅井長政、朝倉義景に勝利
- 1572 (31歳) 三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 武田氏に大敗
- 1575 (34歳) 長篠の戦い 織田軍と組んで武田勝頼を破る
- 1582 (41歳) 5カ国を治める大名に 織田信長 が本能寺の変にて自死す
- 1584 (43歳) 小牧・長久手の戦い 豊臣軍と戦う
- 1590 (49歳) 豊臣秀吉の小田原攻めにて先方を勤め、北条家を滅ぼす
- 1590 (48歳) 豊臣秀吉により関東へ国替えとなる
- 1600 (59歳) 関ヶ原の戦いに勝利。天下人に
- 1614 (73歳) 大坂の陣 と1615年夏の陣で豊臣家を滅ぼす
【※】以下、やさしくわかりやすく。諸説あります。
1)1560年(19歳) 桶狭間の戦いにて今川義元 戦死。のちに岡崎城にて自立
【※】今川義元は、人質 徳川家康を自分の有力武将に育てようと、丁重に遇します。
太原雪斎が徳川家康の師匠です。
徳川家康の母も岡崎の家臣たちも駿河ですごしています。
今川義元は、政治経済に明るいすぐれた大名でした。
平和で安全な駿河には京風文化や学問が発達しました。
今川家の子孫は、江戸時代には徳川家に召し抱えられ、
品川に屋敷を与えられました。
徳川家康は、江戸幕府を開いてからは、
人質時代の思い出の駿府で暮らしています。
2)1570 (29歳) 姉川の戦い 織田・徳川 連合軍が浅井、朝倉 連合軍に勝利
姉川は、琵琶湖の北にあります。
浅井長政は、織田信長の妹 お市を正妻とし、信長とは同盟関係にありました。
姉川の戦いでは、浅井長政は朝倉義景に味方し、28歳で滅亡しました。
3)1572 (31歳) 三方ヶ原(みかたがはら)の戦い 武田氏に大敗
三方ヶ原は遠江 浜松の北方にあります。
徳川家康は遠江(とおとうみ)を3年前に平定していました。
武田信玄(52歳)は短期決戦で攻めてきました。
徳川軍は総崩れになり、大敗北となりました。
しかし武田信玄は病が悪化し、死去しました。
徳川家康の生涯を三つの時期であらわすことがあります。
「生誕の岡崎、出世の浜松、大御所の静岡(駿府)」
浜松市(80万人)には、
スズキ、ヤマハ、ホンダ、カワイなど本社をおく大企業が目立ちます。
4)1575 (34歳) 長篠の戦い 織田軍と組んで武田勝頼を破る
武田信玄の後継者 武田勝頼軍を織田・徳川軍が、兵力の差で打ち破った戦いです。
馬防柵での防御が有名です。
5)1582 (41歳) 甲斐・信濃を奪い、5カ国を治める大名となる
織田信長 が本能寺の変にて暗殺
【※】本能寺の変は、
成り上がりのイケイケ企業の社長 織田信長に、
こきつかれてクタクタになった明智光秀のしわざです。
織田信長の日本統一計画は、豊臣秀吉、徳川家康とに受け継がれました。
6)1584 (43歳) 小牧・長久手の戦い
【※】織田信長を継いだ豊臣軍と1年以上戦い、講和
織田の家督候補:
長男 織田信忠、その嫡男 <豊臣秀吉
次男 織田信雄、徳川家康
3男 織田信孝、柴田勝家
織田の家督を誰が継ぐかを豊臣秀吉は有利に進めます。
3男 織田信孝、柴田勝家陣営は、戦いで、豊臣秀吉に敗れて
織田信孝も柴田勝家も自害します。
残るのは次男 織田信雄、徳川家康連合です。
小牧・長久手の戦い が始まります。
とどのつまり、
豊臣秀吉は徳川家康にかないませんでした。
豊臣秀吉は、次の手として、次男 織田信雄を攻めて降伏させました。
結果、徳川家康は豊臣秀吉と和議を結ぶことになってしまいました。
ともあれ、小牧・長久手の戦い では、徳川家康は見事な采配をしました。
柴田勝家の二の舞いをのがれました。
7)1590 (49歳) 小田原攻めにて先方を勤め、北条家を滅ぼす
四国、九州も支配下にした豊臣秀吉にとって残るのは
関東の北条氏と東北の伊達氏でした。
1590年豊臣秀吉は20万の大軍で小田原城を包囲します。
小田原城内では「降伏」か「籠城」かで小田原評定が続きます。
豊臣秀吉は北条氏政に切腹を命じ、子の北条氏直を高野山へ追放します。
5代続いた北条氏は滅びました。
8)1590 (48歳) 家康、豊臣秀吉により関東へ国替えとなる
1590年、徳川家康は豊臣秀吉によって関東への国替えを命じられました。
関東は戦国時代の混乱の影響を受けていた地域で、徳川家康はこの地を統治することで勢力を拡大しました。
この国替えによって、徳川家康の勢力は更に強まり、後に江戸幕府を開く基盤となります。
9)1600 (59歳) 関ヶ原の戦いに勝利。天下人に
【※】
関ヶ原の戦いは、1600年に徳川家康の東軍と石田三成の西軍が
関ケ原(岐阜県)で戦った戦いです。
東軍が勝利しました。これによって徳川家康が日本を統一します。
戦国時代の終わりと江戸時代の始まりを象徴する戦いでした。
10)1614 (73歳) 大坂の陣。冬の陣と1615年の夏の陣で豊臣家を滅ぼす
【※】
大坂の陣は、1614年から1615年にかけて行われた戦いで、徳川家康は、豊臣家を滅ぼしました。
大坂の陣で、豊臣秀頼(秀吉の息子)などの豊臣家の勢力は壊滅しました。この勝利により、徳川家康の支配体制が確立しました。
安定した政治と経済により、平和な時代を築きました。