【武蔵観研通信】267号:2019年8月31日

【武蔵観研通信】267号:2019年8月31日
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★ 川越、埼玉
埼玉県知事選挙  大野元裕氏が初当選 野党4党が支援
大野を野党4党が支援。元参議院議員で政治のプロ、川口市生まれ。
青島は自民党と公明党推薦。政治のアマ、新潟県出身で、知事には敷居が高かった。
❖ 埼玉県庁  ❖ 川越市役所新着  動画 議会3、6、9、12月
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★ 人物など 
川越藩主は庄内藩主へ。庄内藩主は長岡藩主へ。長岡藩主は川越藩主へ。


秩父宮 勢津子は会津と朝廷のかけ橋


「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」


「急がずば  ぬれざらましを  旅人の あとより晴るる  野路の村雨」


「米百俵の精神で未来をつくる」


3代家光から「右手は酒井忠勝、左手は松平信綱」と頼りにされました。


「ユーモアのない一日は、極めて寂しい一日である」


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★  国際情勢:    世界地図   >朝鮮半島  タイ ローマ帝国   w/map




混乱のイタリア政界
コンテConte首相。学者で実務能力なし。
サルビーニ Salvini:同盟 Northern League。極右
ディマイオ Dimaio:五つ星運動 Five-star movement 。大衆迎合主義の左派
最初からまとまらないとわかっていました。これからも無理。




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 ★  日本情勢・ 日本史  他 日本地図
〇 俳句
AIの研究を推進する上で俳句がよい題材になる深い理由  川村秀憲
俳句の善しあしは人間の中にしか正解がない。俳句はAIにとっていい研究題材
座右の銘 (motto)  桑原政則の場合
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スケジュール
◇ 2019年   令和元年年 亥年 
9月20日~11月2日    ラグビーW杯
8月28日~30日  アフリカ開発会議。(アフリカ開発会議)横浜  
10月 消費税10%  !!???
10月22日    即位礼正殿の儀。大嘗祭(だいじょうさい。新天皇の最大の儀式)
◇ 2020年:  令和2年 丑(うし)年   
7月22日~8月9日  東京オリンピック・パラリンピック
11月3日    アメリカ大統領選

混乱のイタリア政界。2019年 【メモ】

混乱のイタリア政界。2019年  【メモ】
イタリア共和国地図
/  MFA
Ministry of Foreign Affairs


  • コンテConte首相。学者、実務能力なし。
  • サルビーニ Salvini:同盟 Northern League。極右。
  • ディマイオ Dimaio:五つ星運動 Five-star movement 。大衆迎合主義の左派

半島の付け根のアルプス山脈が外敵の侵入を防ぎました。
山がちで長く都市国家が分立していたことから、国家としてまとまる必要が無く、伝統的に地方分権を求める政治意識が強いです。

北部の「同盟」は豊かな地域。
ミラノ、トリノ、ジェノバの北イタリア三角地帯。
技術革新で先んじ仏独に近い。


五つ星運動の地盤は南部シチリア島。ブーツのつま先。
左派色の大衆迎合主義。貧しい南イタリア。

本川越駅の商店街史

本川越駅の商店街史 

1951年  丸広川越店オープン
1965年  西町通り商店街オープン。→新富町商店街とサンロード商店街に
1967年  イトーヨーカ堂川越店オープン
1991年  本川越駅ぺぺ オープン
1997年  クレアモール(新富町+サンロード)オープン
2019年  イトーヨーカ堂川越店 秋オープン

「三方領地替え」(川越藩主→ 庄内藩主→ 長岡藩主)の命運は?川越藩主 松平斉典(なりつね)

「三方領地替え」(川越藩主→ 庄内藩主→ 長岡藩主)の命運は? 川越藩主 松平斉典(なりつね)
三方領地替え   /2019/08/30  桑原政則
川越藩主・松平斉典(なりつね)は、 川越藩から裕福な庄内藩への移封を画策します。
川越藩 松平家は200億円もの債務をかかえ、 財政破綻状態でした。
なお、川越藩主 松平斉典(なりつね)は、11代将軍 徳川家斉(いえなり)の子を養子に迎えます。今後の布石のためです。
大名は、知事のようなもので、土地持ちではありません。

1840年、川越藩主・松平斉典(なりつね)の画策で、
山形・庄内藩主 酒井忠器(ただかた)は、越後・長岡藩へ
越後・長岡藩主 牧野忠雅(ただまさ)は、武蔵・川越藩へ
武蔵・川越藩主 松平斉典(なりつね)は、山形・庄内藩へ
「三方領地替えの幕命」が出されます。


ひごろ 山形・庄内藩の領民は、庄内藩主 酒井家の善政に感謝していました。
この
領地替えの幕命に、庄内藩の農民たちは、大反対します。
川越藩主の税の取り立てはきびしく、餓死者続出のうわさが広まります。
庄内の領民は江戸にのぼり、命がけの反抗で、幕府に強訴(ごうそ)します。
領民の訴えは江戸の世論をわかせました。


この間、11代将軍 徳川家斉(いえなり、55人の子持ち)が死去(1841/2/27)します。

しかし、農民たちの命がけの運動は続きました。

世にいう 三方領地替え(さんぽう りょうちがえ)の幕命はすんでのところで、 撤回となりました。


なお、川越藩主 松平斉典(なりつね)は、
家臣たちの教育にも力をそそぎ藩校「
博喩堂(はくゆどう)」を江戸藩邸、川越城外に設置しました。

松平斉典(なりつね)の遺徳を偲ぶ「川越百万灯  夏祭り」が毎年開かれています。知恵伊豆・松平信綱に由来する「川越まつり」とならぶ川越二大まつりです。


【参照】
松平直孝,庭野剛治『引っ越し大名 松平大和守家』、前橋学ブクレット28、上毛新聞社

藤沢周平『義民が駆ける』
中村彰彦『北風の軍師たち』 
国立歴史民俗博物館『地鳴り 山鳴り』
黒須繁『武蔵野』351、352



【※】 川越藩主・松平斉典(なりつね)の墓は川越の喜多院にあります。
前橋では、「前橋四公」があります。             秋元 越中守家                          (総社藩 そうじゃはん)
            牧野 駿河守家                         大胡 おおごはん
            酒井雅楽頭(うたのかみ)家 (前橋藩)
            松平大和守家                           (前橋藩)

松平大和守家は、入城後わずか19年で川越城に移ってしまいました。 川越と前橋は、大名で深い関係にあります。 また「引っ越し大名」とやゆされるように、12回もの転封をしました。  

前橋は、京から陸奥(みちのく)へ出るターミナルでした。 古墳が多く出るのも、人の行きかいが盛んだったからでしょう。 その昔 江戸は泥沼、荒野で使えませんでした。


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旧稿
https://kuwabara03.blogspot.com/2014/10/blog-post_6.html

貸借対照表 2019年度




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