【武蔵観研通信】223号:2017年8月30日


【武蔵観研通信】223号:2017年8月30日

★ IT

★ アセアン       
>シンガポール

★ 川越、埼玉
  〇 9月18日は、敬老の日。
  ● 埼玉県庁   ● 川越市役所

★ 観光
  〇 国交省、外国人観光客の多い地域で多言語注意看板  
     【注】 日英のみで!!【cf.】シンガポールの交通標識は英語のみ
  〇 "ほぼ日"のダメ出しで変わった気仙沼観光
         DMO=『D=どうせなら、M=儲かって、O=面白く』

★ 人物

─────────────────────────
★ 余滴

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「地方場所の土俵は滑る」力士ら不満、国技館と同じ川越の土を

「地方場所の土俵は滑る」力士ら不満、国技館と同じ川越の土を 
鈴木健輔2017年8月29日 asahi

 大相撲で年3度ある地方場所の土俵に、東京・国技館と同じ土が使われることになった。「地方の土俵は滑りやすい」という力士の不満に日本相撲協会が配慮した。国技館で使っている土の産地、埼玉県川越市から約45トンを場所前にトラックで運びこむという。今年11月の九州場所から始める。

【荒木田土(あらきだつち)】
 国技館の土俵は園芸や壁土にも使われる「荒木田土(あらきだつち)」で、粘り気があり、大きなひびが入りにくいのが特徴という。一方、大阪、名古屋、福岡である地方場所では現地近くの土を使っているが、担当者は「西に行くほど赤土が混じる傾向にあり、滑りやすい。大きなひびが入る恐れもある」。7月の名古屋場所では取組中に土俵の一部が崩れるトラブルがあったという。

 改善してほしいという力士の要望は何年も前から上がっており、尾車事業部長(元大関琴風)は今回の決定について「ケガもするし、回避してあげないと。一番大事な舞台だから」と説明した。

 荒木田土はかつて東京都内の川近くで採取できたが、開発が進むにつれて採取場所が変わり、いま国技館で使うのは、川越市の土。国技館では場所前に呼び出しが土俵の表面を削り、新しい土をのせて、たたいて固めるが、地方場所では6・7メートル四方の土俵を土台から作り直すため、1場所ごとに約45トン必要になるという。(鈴木健輔)

シンガポールの交通標識は英語

シンガポールには、中華系 7、マレー系 1,インド系 1 が生活しています。
学校では、教育は英語で行われます。
若い人々は、英語と出身民族のことばを話します。

交通標識(road signs)も英語です。
    住民の話す中国語やマレー語やインドのタミール語などは、使っていません。

日常の場で英語を使うので、国民のレベルは高いです。

【注】日本の交通標識は、日本語と英語のみで。
国交省は多言語看板を使おうとしていますが、一考を。
多言語は目ざわりです。

日本では、英語は日本人にも必要です。
  
    越生 Ogose    毛呂山 Moroyama    加須 Kazo  幸手 Satte
  
その他は、スマホ、翻訳アプリで。


【注】
シンガポールは、1965年にマレーシアから追放される形で独立しました。
はじめは「正しい中国語を話そうキャンペーン」を開始しました。
のちに欧米の企業もターゲットにするために、強制的に「正しい英語を話そうキャンペーン」に変更しました。

わたし(桑原政則)の先輩は、かつて南洋大学で教えていました。ある時日本で会いました。「南洋大学は中国語なので、廃止になりました。日本で教えることになりました」。南洋大学は今では、名門 Nanyang Technological University (NTU) に様変わりしています。





オーチャード ロード
中心街の道路。高島屋が有名。


8月31日、1913年。ベルツ 日本温泉学の父 没

8月31日、1913年。ベルツ 日本温泉学の父 没

明治政府は優れていたドイツ医学の導入をはかるために、27歳のベルツを招きました。29年間滞在しました。
ベルツは草津温泉を世界三大温泉とたたえました。
ヒビ、アカギレの薬「ベルツ水」をつくったりしました。


ベルツは日本温泉学の父。伊香保温泉の恩人

ベルツ:「日本人は自文化に誇りを持ち、大切に」


プロに学ぶ行楽の心得。地元の人に教えてもらう。

プロに学ぶ行楽の心得 ガイド本より地元の声 
2017/7/31付 を抜粋編集

 働き方改革で休みを充実させようという機運が高まるなか、行楽地など出先では安全、快適、効率的に楽しいひとときを過ごしたいところ。「名幹事術」を、旅行会社の添乗員やライフセーバーなど、その道のプロから学んだ。

●旅の計画

 「旅先の夕食は、必ずしも宿でとる必要はない」。こう語るのは日本旅行西日本営業本部担当部長の平田進也さん(60)。「おもしろ旅企画ヒラタ屋」の「屋号」で個性的なツアーを打ち出す現役添乗員だ。企画中の「京都1泊2日、2万円ぽっきりツアー」を例に、旅程作りのコツを教わった。キーワードは「旅はメリハリ、移動ではなく感動」だ。

 宿は修学旅行も扱う大型旅館で素泊まり、夕食は老舗料亭で懐石料理、朝食は旅館近くの外資系ホテルで高級ブレックファスト――。一見ばらばらな組み合わせも、予算と満足度を検討した結果だ。

 平田さんは「一般に旅館の食事付きプランの場合、食材の原価は料金全体の15~20%が相場」と分析する。例えば同じ予算で2万円のプランならば、原価3千~4千円の食材を旅館で食べるか、素泊まりにして差額分で「外食」するか、の選択になるという。

 「懐石料理を食べて大浴場で汗を流せば、あとは寝るだけでも満足。目覚めたら高級ブレックファストも待っている」(平田さん)。メンバー構成や重視する要素によって事情は異なり、実現性は人脈や情報量にも影響されるが「旅の夕食は宿で」と思い込んでいた人には斬新な発想だ。

 「本当のガイドブックは地元にある」というのも平田さんの経験則。「ガイドブックは編集上の制約もある」「行政の観光案内所は平等主義で無難になりがち」ときっぱり。「観光名所も飲食店も、地元の人に『大切な友人を連れて行くならどこですか』と教えてもらうのが一番」という。

 高齢者や子供連れだと、いざ目的地に向かってみたら休憩場所がなかったり、想像以上の急勾配だったりで後悔するケースも少なくない。そんな場合も地元の人に遠慮なく尋ねるべきだという。平田さんは「遠慮が旅の値打ちを下げる。会話は無料」と笑う。

(後略)

(嘉悦健太)

アセアンの地図 #2




役員給与、アジア勢が上 シンガポール 3535万円・日本2713万円

役員給与、アジア勢が上 シンガポール 3535万円・日本2713万円
人材獲得で競り負け
2017/8/27付NKを抜粋編集

 中国やシンガポールでは部長の給料は平均2300万~2400万円日本は2千万円に届かず、取締役はベトナムにも抜かれる――。企業が支払う給与・報酬を国別にみると、役職が高くなるほど海外が日本を上回り、格差が広がることがわかった。日本は若手から課長まではアジア各国を上回るものの、部長・取締役では抜かれる傾向にある。高度な技術や経験を持つ人材の獲得競争が世界的に激しくなるなか、「買い負け」リスクも指摘されている。


 人事コンサルティング大手の米マーサーが世界125カ国の2万5千社、1500万人以上の2016年度の報酬(予定額)を調べ、平均為替レートで日本円換算した。日本企業も自動車や家電など上場企業を中心に264社を調べた。対象の多くが大手で金額は高めに出る傾向がある。

 各国の現地企業、外資企業をあわせた部長級の年間の平均給与(額面ベース)をみると、シンガポールが2412万円、中国(上海)は2340万円となる一方、日本は1981万円にとどまる。課長の平均給与は日本(1022万円)がシンガポール(1008万円)や中国(668万円)を上回るのと対照的だ。

 日本の人件費は全体としてはなお高い。日本貿易振興機構(ジェトロ)の直近調査によると、一般的な工場労働者の賃金は東京で月額2339ドルなのに対し、上海は558ドル、ホーチミンは214ドル。日本は海外に比べ役職による格差が小さい構図が浮かぶ。

■高い役職ほど格差
 マーサージャパンの栄立土志コンサルタントは「海外は役割の大きさに応じ惜しみなく給与を配分する」と指摘する。日本は同じ部長職なら主力部門から間接部門まで給与水準をそろえる傾向があるが「海外は稼ぐ花形事業の責任者により多く払う」という。

 取締役になると差はさらに広がる。日本では低位の取締役の報酬は2713万円だが中国は4千万円を超えシンガポールも3535万円が支払われる。ベトナムの2803万円にも抜かれる結果となった。部長まで日本を下回る韓国も取締役では超えている。


 アジアの企業は厚待遇を用意して人材を引き付ける。八木一之さん(59)は16年10月に三井物産から中国の長城汽車に転じた。今はグループ会社の董事総経理として北京で働く。「長城汽車の魏建軍董事長は日本の企業文化を学びたいという姿勢が強い」(八木さん)といい、60歳を超えても報酬は三井物産時代と遜色ない見通しという。日本企業の定年後の再雇用での給料維持は難しい。年齢に応じて報酬が決まる硬直化した制度は人材獲得の足かせになる。

 マーサーの調査は国別だが日本企業の海外法人でも役職が高くなるほど給与が伸び悩む傾向が見える。例えば上海の各社の報酬を比べると日本企業の部長給与は1853万円。中国企業(2012万円)、日系を除く外資企業(2394万円)より低い。課長になりたての頃は日本企業、中国企業、日系を除く外資ともに350万~400万円と大差はなかったが、役職の上昇とともに格差が広がる。

■賃金理由に転職
 日本の電機大手から上海の半導体メーカーに移り、転職支援も手がける男性は「日本人が海外へ転職すると年収が2千万~3千万円になることも多く、3倍に増えることもある」と話す。給与水準の差が日本企業の人材獲得の妨げになることもあるという。ただ短期間に技術やノウハウを得た後に退社を迫る「使い捨て」の事例もある。

 英人材大手ヘイズによると賃金を理由に転職を考える人は増加傾向にある。台湾の人工知能ベンチャーに勤める30代男性の年収は1千万円を超えた。3年前まで勤めた楽天時代の1.5倍以上で「裁量が大きく成果を残した分だけ個人に還元される」と話す。

 人口減少で日本国内の市場が縮む中、日本企業のグローバル化は加速する。製造業だけでなく金融やサービス業でも世界各地で競争は激しくなり、企業の盛衰を分けるようなマネジメント層となる人材の需要は高まる見通しだ。

 しかし、十分な報酬を示さずに人材獲得競争で勝ち抜くのは難しい。成果主義を徹底するだけでなく、上に厚い制度への見直しも必要になってくる。

(安西明秀)

ASEANは政治の安定を。糠谷英輝

留意すべきASEANの政治動向
2017/8/17  NKを抜粋編集

 アジア通貨危機から20年が経過し、東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国では危機対応が進んだ。域内諸国は堅調な経済成長を続け、経済に問題はない。課題は政治にある。

 主要国のタイでは軍政下でタクシン派と反タクシン派の分断が続き、新国王も政治への関与を強めつつある。民政への転換も見通せない。

マレーシアではナジブ首相の汚職問題が晴れない一方、イスラム化が進む方向にある。

 インドネシアでは、ジャカルタ州知事選を契機にイスラム主義を強硬に唱える一派が力をつけた。政治目的での宗教の利用であるにせよ、多元主義と社会の調和が脅かされている。

フィリピンではドゥテルテ大統領がこれまでの政策を一転。親中・反米政策を進め、ミンダナオ島ではイスラム過激派との戦いを繰り広げている。

 域内で最も安定していたシンガポールでも、国民の経済格差に対する不満が高まる。シンガポール初代首相の故リー・クアンユー氏の遺言を巡る、リー・シェンロン首相と家族の争いも影を落とす。

 政治状況の安定は海外から資金を導く前提条件である。ASEAN諸国の経済成長は外資が主導した面が大きく、政治の安定が持つ意味は大きい。アジア通貨危機後の経済成長は国内の格差問題なども生んだ。経済成長の過程で生じる問題であるが、それを解決するのは政治であり、対応を誤れば社会不安の激化が避けられない。

 地域に大きな影響を与える米国と中国の間にも緊張が増している。また域内諸国と両国との関係も不安定だ。経済が成長したASEANも政治面では未成熟な民主主義にとどまる。政治が経済を傷つけることに留意が必要だろう。

(広島経済大学教授 糠谷 英輝)

【※】アジア通貨危機(Asian Financial Crisis)
1997年7月よりタイを中心に始まった、アジア各国の急激な通貨下落)現象。

東アジア通貨危機「マレーシアの独自路線」 〜 竹下雅敏 【3+】

島崎藤村。→https://kuwabara03.blogspot.com/2019/08/toson-shimazaki822.html

https://kuwabara03.blogspot.com/2019/08/toson-shimazaki822.html

島崎藤村。詩集『若菜集』、長編小説『破戒』。Tōson Shimazaki。8月22日没

1872年3月25日。長野県~ 
 1943年8月22日没

島崎藤村は、詩人、小説家です。岐阜中津川市の本陣(大名が泊まった宿舎)を兼ねる旧家に生まれました。

1897(明治30)年、詩集『若菜集』で近代詩の扉を開きました。1906年に長編小説『破戒』により自然主義の文学の第一歩を記しました。
他に、『夜明け前』、『千曲ちくま川のスケッチ』も有名です。

島崎藤村は、川越にも関係があります。

島崎藤村の妻・静子は川越出身でした。
藤村は、静子の母・加藤みきから、茶道を習っていました。

『夜明け前』の主人公「青山半蔵」の生まれは川越です。
藤村は、割烹旅館・佐久間で、原稿を執筆したりしました。


川越の中院案内   
    島崎藤村ゆかりの茶室について 

  不染亭(ふせんてい)は島崎藤村が義母に贈った茶室で、川越の文化財となっています。


青空文庫で無料で読むことができます。
『若菜集』
『破戒』
『夜明け前』


若菜集 【2+】
椰子の実 【3+】  歌詞  
    親友の柳田國男が、藤村に椰子の実の漂泊の旅を話し伝えました。

朗読 破戒 【18+】

【名言】

「ユーモアのない一日は、極めて寂しい一日である」

島崎藤村の記念館 

ユーグレナ社 出雲充(みつる)。こち亀、ドラゴンボールから着想

ユーグレナ社 出雲充(みつる)。こち亀、ドラゴンボールから着想  

2017/5/13  NKを抜粋編集  リーダーの本棚


 東大発ベンチャーの旗手。ミドリムシ企業を生んだ原動力は2つの超大作コミックにあった。

 両親も私も活字中毒です。父は歴史小説が大好きで、本が部屋を埋め尽くしていた。充実度は近所の書店以上でした。小学生のころは子供向けの伝記や漫画版の日本の歴史、そして漫画にたどり着きました。



 「こち亀」との出合いは50~100巻の時代。急にベンチャーや企業再生の話になるんです。駄菓子屋を両さんがプロモートするとか。

 両さんが釣り糸にスルメを付けて大量のザリガニを釣る話が85巻にあります。私も小遣いを稼ごうと弟と池に行きました。スルメでもポッキーやイチゴでもだめで、割けるチーズを使ったら何十匹と集まった。チーズから低分子のアミノ酸が溶出して触覚を刺激するわけですが、当時は分からない。でも漫画をまねして手を動かし、面白い体験をしました。

 全200巻、言い訳が1コマもない。お金や学問やコネがないからできないと決して言わない。起業家に一番必要な態度じゃないですか。ユーグレナを創業して500社回っても受注ができず落ち込んだときに読み「そんなこと言っても仕方がないな」と元気になった。伊藤忠商事から提携話が来たのはその直後です。

 ミドリムシのヒントは『ドラゴンボール』の8巻に出てくる仙豆(せんず)です。1粒食べれば10日間空腹にならない。魔法の豆を探した先に、植物と動物の59種類の栄養素が入ったミドリムシがありました。

 漫画と活字の本に違いを感じないか? 難しいことを聞かれますね。子供時代から全く同じ存在です。

 難局を頑張り抜いた経営者の伝記に自らを重ね合わせる。


 会社が鳴かず飛ばずのときに、自分より大変だった経営者はいないかと探して、ヤマト運輸の小倉昌男さんの本を見つけました。「宅急便」がないときから国の規制と闘って道を切り開いた。その経験と哲学を自分自身で書かれているところにすごみを感じました。

 周辺の本も勉強して出合ったのがリコー三愛グループの創業者である市村清さんの伝記『茨と虹と』です。最初からめちゃくちゃです。佐賀の本当に貧しい家で仲良くした牛を奪われたときの悲哀。病気をマラソンで克服し、上海で上役の横領容疑をかばって監房で暮らす。その人が戦火を乗り越え、リコーという光学系で断トツの技術の会社を率いていく。技術を社会に還元するという意味でも、いまの仕事にとって非常に勉強になります。二人の話に「ああ、自分は本当に大変じゃないな」とつくづく思いました(笑)。

 大学1年の時、バングラデシュへ。マイクロファイナンスを発案したユヌス教授と出会う。

 尊敬する先生からいつも勇気をもらっています。私にとって最大のメンターであり、神様のような存在です。ユヌス先生の自伝は私の一番の座右の書で、何回も読み返しました。第7部の40章で「この壮大で、狂った、正気とは思えない、不可能な夢を現実のものにしよう! 私たちは貧困なき世界を作ることができる!」という言葉は暗記してたびたび思い出しています。

 「Have fun」、楽しくないとダメ。これが先生の決めぜりふです。大変なときだけでなく、楽しかったときや良い発表ができたときにも自分を勇気づけるために読みます。今年77歳になるのに満足せずにすべてを懸けてまだ頑張っている。私の会社はまだ総勢約250人。慢心したり油断したりなんて、ユヌス先生が生きている限りはありません。

 米航空宇宙局(NASA)の技術者が高校時代、友人と4人でロケットを飛ばそうと夢を追いかけた『ロケットボーイズ』も好きです。04年に米バブソン大学の集中プログラムに1カ月参加した時のテキストで、本のエピソードから体験談を学生同士でシェアしました。今でも壁に突き当たったときに読みます。

 速読で年に200冊は読みます。好きな本は擦り切れるまで何回も。石垣島の工場に年に二十数回行く際の往復3時間半のフライトで4冊。新幹線や飛行機も読書の時間です。

 皆さん、読書に効率や目的を求めすぎでは。それでは新しい本を読まなくなるでしょう。全然関係のない、遠くにあるものに、本という形ですぐ接することができる。それが本の一番の価値だと思います。

(聞き手はコメンテーター菅野幹雄)

いずも・みつる 1980年生まれ。東大在学中にバングラデシュで食料問題に接し、銀行勤務を経て05年にユーグレナを設立。ミドリムシ大量培養に成功した。

出雲充 wp

【武蔵観研通信】222号:2017年8月15日

【武蔵観研通信】222号:2017年8月15日

★IT、パソコン  


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★ 川越、埼玉
  〇 埼玉の「名低山」伊豆ケ岳、四阿屋山。


★ 観光
 〇 休日の分散を:日本の学校では、部活動があるし、学校がすべて。そして上下関係をすごく重視。会社に入ると会社がすべてになってしまう。企業ではトップに就く人は内部昇格だ。ドイツでは、トップになるような人は1、2回は転職してキャリアアップする。内部昇格しか選択肢がないと会社への忠誠心競争になってしまう。日本は成功してもあまり評価されないが、失敗したときの罰が大きい。休日は分散して取れるように。(略述)


★ 健美医


★ 宗教


★ 人物


★ 徳川コラム


★ 本
  〇 ケント・ギルバート『ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人』   日本人はなぜ「愛国心」を危なく感じるのか? 


★ 余滴
  〇 スペースマーケット  スペースの貸し借り。月5000件。
  〇 世界&トランプ:自前の羅針盤が必要。学級崩壊、機能不全。アメリカは劣化し、ジャングル化。エゴ丸出しのアメリカ中国ロシア、 安保理の常任理事国なのに。
  〇 知の再武装が必要に:社会人の学び直し制度(リカレント教育)を。オンライン講座。教育投資が日本のカナメ。コンピュターサイエンス(AI)、世界史、…。
  〇 安倍政権:内閣人事局の新設→ 官僚人事を首相官邸に→ ヒラメ官僚の急増。
  〇 2016年生まれは、 90歳まで生存:男性は4人に1人、女性は半数が90歳まで生きる。

渋沢 栄一:志実現を中断し、旧主・旧臣の救済に

渋沢 栄一:志実現を中断し、旧主・旧臣の救済に 

JA 2017.08.13  【童門 冬二(歴史作家)】

◆幕府消滅で送金停止

 フランスのナポレオン三世は、慶応三(一八六七)年にパリで万国博覧会を開いた。世界各国の元首に招待状を出した。日本にも来た。時の将軍徳川慶喜は、ナポレオン三世と仲よしだったので、弟の昭武(慶喜と同じ旧水戸藩主徳川斉昭の息子)を派遣することにした。使節団を構成し、いろいろな実務をおこなう事務長に渋沢栄一が命ぜられた。栄一はそのころ、慶喜に登用されて幕府役人となり財政を担当していた。

  慶喜は栄一に、
「弟の昭武はまだ十四歳なので、万国博が済んだあともヨーロッパに留学させたい。その面倒も頼む」
 と告げた。栄一はこのとき二十四歳である。が、博覧会への参加行事はスムーズに進んだが、日本においてとてつもない政情変化が起こった。

  この年(1867年、慶応三年)十月十四日に、慶喜が朝廷に「大政奉還」をおこなったことである。引き続き、十二月九日には「王政復古」の大号令が出て、新政府が樹立された。この時点で、徳川幕府は消滅してしまった。その余波がパリにも届いた。はっきり言えば、昭武をはじめとする使節団に対する送金が絶えてしまったことである。栄一は頭を抱えた。

  このとき、パリに本店を持つナショナルバンクの頭取フェラーリという人が訪ねてきた。フェラーリは、かねてから栄一を見ていて、主人昭武への奉仕の姿勢や、同僚たちへの面倒見のよさを見て、
「これこそ、日本の武士道なのだ」
 とひどく感心していた。そこでフェラーリは、
「ムッシュ・シブサワ、お困りでしょう」と持ちかけてきた。栄一は正直に、
「本国からの送金が絶えたので、帰国の費用もどうしようかと悩んでいます」と答えた。

  フェラーリは、
・フランスでは、公共事業に対しても市民が拠金する。その拠金額に応じて、もしも事業で益を生じたときは配当をおこなっている
・それらの金融を扱うのがわたしのナショナルバンクだ
・もしムッシュ・シブサワに残金があればお預けなさい。帰国の費用ぐらいなんとか生んでさしあげる
 と申し出た。栄一は感に入った。それは、フランスにおける合本(資本を集める)主義と銀行の存在だ。

  日本の金融制度は質屋や大手商人の扱いで制度としては相当に古い。栄一は、
(日本に戻ったら、ぜひこの二つを自分の手で実現しよう)と、大きな志を抱いた。生きてきて初めて「自分のやるべき仕事」が発見できた。

 フェラーリの世話で、日本使節団は無事に帰国した。栄一はまず旧主人の慶喜の行方を探した。そのころ慶喜は、静岡にいた。ある寺に入ってひたすらに新政府(天皇政府)に恭順の意を表していた。そして、驚いたことに静岡の町には、旧幕臣が家族連れで群れていた。中には野宿をしている者もいる。新政府は、徳川家に大名の資格を許し、静岡で七十万石の領地を与えていた

  それを知って、旧幕臣が家族連れで一斉に訪れていたのである。しかし、七十万石というのは旧幕府の収入からすれば、五分の一ぐらいになる。全員を再雇用することができない。そのため、旧幕臣たちは困窮のきわみに達していた。

道徳と金融の一致 

 栄一が会った慶喜はひげぼうぼうでやつれていた
「朝敵の汚名が除かれるまでは、ひげもそらない」と慶喜は言った。その姿に栄一は胸をえぐられた。日本に戻ったら、すぐ合本主義(株式)と銀行の設立を自分の手でおこなおうと勢い込んで日本に戻ってきたのだが、そのモラール(士気・やる気)が萎えた。パリでフェラーリが感動したように、栄一にはもともと〝日本人の精神〟が横溢している。かれの場合は、
「困っている者への共感」だ。やつれた慶喜と、町に群がる旧幕臣たちの困窮の姿を見ては、栄一は自分一人だけ東京に行って志を遂げることがどこか躊躇するものがあった。

  栄一はこのとき、
(志の実現を中止し、慶喜公と失業している旧幕臣たちの救済に力を注ごう)
 と方針を転換した。しかし、このとき栄一が打った手は、必ずしもかれの志と遠いものではなかった。かれは失業幕臣の救済にある組織をつくった。「静岡商法会議所」と名づけた。県内の富豪を説得して歩き、旧幕臣救済のための拠金を求めた。基金をつくると、これに政府が各大名家に新貨幣の普及を求め、石高一石について一円の割合で貸付金を出した。十三年の返済期間だ。利子は安い。渋沢はこれも活用した。

  かれは、幕臣たちの生業に「茶の生産」を選んだ。それは、横浜に着いたとき対外貿易の日本の目玉品が、生糸とお茶だったからだ。生糸の生産は難しい。しかし茶なら旧幕臣たちにもなんとかやれるだろうと踏んだのである。土地と家屋を用意し、また茶の生産の研修もおこなった。農耕具も買い込んだ。その資金に、静岡商法会議所の名で集めた拠金を充てた。言ってみれば、これはフェラーリから教えられた「合本主義」の日本版で、また商法会議所の仕事はそのまま金融であった。つまり、栄一が東京で実現しようとした志の静岡版だったのである。

 この事業は成功する。政府から借りた金も栄一はたちまち返納した。これに気づいた政府の財政担当者がびっくりした。
渋沢栄一を新政府に招くべきだ」という声が起こり、渋沢はやがて大蔵省に招かれる。そして租税制度を一挙に変える。年貢という米の現物納入を、不安定な国税制度だとして、土地に課税することに変えた。しかも現物ではなく「金納」に変えた。しかし一連のこの渋沢の事業進展は、あくまでもかれの胸の中にあった、
「弱い者を見捨てない」という日本人特有の温かい精神に基づくものだ。だからこそ、パリのフェラーリが感動し、「フランスにない美しいスピリットだ」と賞賛したのである。

 渋沢は明治六年に日本で初めての銀行を設立する。このとき銀行員に告げたのは、
論語とソロバンを一致させてほしい」ということだ。つまり「道徳と経営の一致」を願ったのである。そしてかれは弱者救済の二本柱として「老人と子供」の福祉を企てた。東京市立養育院はその所産だ。ここに孤児院も併設した。そしてかれ自身が、東京市長に頼んで初代の養育院長になった。かれはその後数百の会社を起こす。しかし、昭和二年に九十二歳で亡くなるまで、
「東京市立養育院長」
 という肩書は、名刺から消したことがなかった。当初の志を中断し、旧主・旧臣の救済に励もうという決断が、そういう温かい結果をもたらしたのである。

脳が休まる「最高の習慣」

悩み別にマインドフルネス 脳が休まる「最高の習慣」 
日経ウーマン  2017/8/15

 休んでも疲れがとれないのは、脳の疲労が原因。「マインドフルネス」で、脳の疲労を回復しましょう。
■脳の疲れが取れると平日も週末も楽しめる
 「現代人は、自分で思っている以上に脳が疲れた状態です」と指摘するのは、医師の久賀谷亮さん。「ネットやSNSの影響で、脳や心があちこちへと『さまよう』場面が多い上、生産性を求めるあまり、マルチタスクになりすぎて脳がリラックスできない。そのまま放置しておくと、『幸せ度』も下がります」
 自分ではボーッとしていると思っても、脳は活動を続けている。蓄積していく疲れを取るには、休日に「何もしない」時間をつくることが大切。その際に有効なのが、マインドフルネスと呼ばれる「脳の休息法」だ。
 「自分の呼吸や感覚に意識を向けることで、さまよう心を『今ここ』に戻すことができる。それにより、脳の過剰活動が抑えられ、疲労感が消えていきます。続けていくことで、仕事のパフォーマンスも、休日の充実度もアップするはずです」
 久賀谷さんが提案するマインドフルネスメニューを紹介しよう。
 
■悩み:週末にやらなくちゃいけないことばかり浮かぶ…
→「マインドフルネス呼吸法」で脳を鎮める
[効果:感情が穏やかに・雑念がスッキリ・ストレス低減]
1.基本の姿勢をとる
 椅子に座る。背筋は軽く伸ばし、背もたれから離す。手は太ももの上に置き、脚は組まない。静かに目を閉じる。
基本の姿勢
2.体の感覚に意識を向ける
 足の裏が床に着いている感覚、お尻が椅子に触れている感覚、体が地球に引っ張られる重力の感覚などに意識を向ける。
体の感覚に意識を向ける
3.呼吸に注意を向ける
 鼻呼吸がおすすめ。鼻を通る空気や、息を吸ったり吐いたりすることで胸やお腹が動く感覚、吸う息と吐く息の温度の違いなどに意識を向ける。「深呼吸をしたり、無理に呼吸をコントロールしたりする必要はありません」
4.雑念は「認めてあげる」
 悩み事や今日あったこと、やらなくてはいけないTO DOなどが浮かんだら、「雑念が浮かんだな」と思って、再び注意を呼吸に戻す
■悩み:仕事のトラブルが頭をグルグル…
→「マインドフルネス呼吸法」 + 「モンキーマインド解消法」で考え方をチェンジ
[効果:グルグル思考が止まる・集中力が高まる・自己嫌悪がなくなる]
1.マインドフルネス呼吸法を10分続ける
 基本のマインドフルネス呼吸法で「いまここ」に意識を向けることで、過去の出来事や未来の不安などに向かっていた心を「現在」に戻す。
2.「賢者の目線」で考える
 尊敬する人や、歴史上の偉人、憧れの先輩だったらどう考えるか想像してみる。「物事を違う角度から見ることで、凝り固まった考え方から解き放たれます」
「賢者の目線」で考える
3.思考にラベルを貼って「捨てる」
 頭の中をグルグルしている物事に「A」「B」「C」などラベルを貼る。「何度も同じことを考えている事実に気づきやすくなります」。その上で、「もう十分に考えた」と思ったら、思考を頭の外に送り出す自分を想像する。
思考にラベルを貼って捨てる
■悩み:家族や友達についイライラ…!
→「怒りを客観視」で衝動をコントロール
[効果:怒り、欲、衝動を抑える]
1.「怒っているな、自分」と気づく
 自分のなかに怒りが湧いていることを認識する。その上で、「怒り自体と、自分自身とは別物」と考える。
怒っている自分に気づく
2.怒っている自分を受け入れる
 怒っている自分をいい、悪いなどとジャッジせず、「今、怒っているのだという事実だけに目を向けて」。
体に意識を向け、怒りを客観視する
3.体に意識を向け、怒りを客観視する
 怒りによる心拍数の変化や、体のどこに緊張した感じがあるかなどをチェック。体に意識を向けることで、怒りを客観視できる。「怒りを“突き放す”ことができれば、他人事のように捉えられるようになり、衝動的に相手に怒りをぶつけることがなくなります」
■悩み:月曜日の仕事が憂うつ…
→「マインドフルネス呼吸法」 + 「ポジティブフレーズ」で平静を取り戻す
[効果:ポジティブな感情が芽生える・仕事や他人へのマイナス感情が和らぐ]
1.基本のマインドフルネス呼吸法を10分続ける
2.不安なことなどを思い浮かべる
 職場の苦手な人や、仕事の不安などを具体的に頭の中で描く。「まずは不安を感じている、嫌な気持ちになっているという事実を認めましょう」。ネガティブなことを思い描いたときの、体のこわばりや呼吸の変化にも意識を向ける。
不安なことを思い浮かべる
3.心の中でフレーズを唱える
 仕事の不安に対しては、「どんなことも、ありのままに受け入れられますように」、苦手な人に対しては、「あなたが幸せで心安らかでありますように」など、前向きなフレーズを心の中で唱える。「この『儀式』で、脳に疲れがたまりにくくなります」
心の中で前向きなフレーズを唱える
■悩み:旅先でも気が休まらない…
→おすすめ1:スケジュールを決めずに動く
 「○○で××をする」といったTO DOを設けず、予定を決めない旅をすることで、時間や予定から自分自身を解き放つ。
→おすすめ2:自然や街並みなどに意識を向ける
 目的地や観光名所だけでなく、道中の景色や自然の様子などに意識を向け、「今そこにある一瞬」を五感で味わう
旅先では自然や街並みに意識を向けて
この人に聞きました  久賀谷亮さん